THE 技 能の世界の橋渡し 能楽コーディネーターという仕事
最先端技術、職人技、妙技、必殺技…アマで繰り出すプロのワザに迫る
アメリカで開催された日本文化祭りに参加した際の様子
能楽「船弁慶」の舞台が大物だったり、例年薪能が開催されたり、身近に能に触れることができる尼崎。そんな尼崎をはじめ、海外でもワークショップを行うなど伝統芸能を多くの人に知ってもらう活動をしている能楽コーディネーターの山村貴司さん(40)。自身も3歳で初舞台に立ち、小学校4年生まで子方(いわゆる子役)を務めていました。
プロの能楽師である伯父と、特に師匠でもある父親の稽古はとても厳しかったと振り返ります。「礼儀作法はもちろんのこと、何より『気を配る』ことが身に付きました」というほど厳しい雰囲気のなかで幼少期を過ごし、なんと舞台の前は怪我をしないよう、体育の授業は見学するほどの徹底ぶりだったそう。
一時、能楽からも地元である尼崎からも離れましたが「実家の職業が『能』だと言うと『農業』や『脳外科』に間違えられることが多くて」と、能楽をもっと多くの人に知ってもらう必要性を身をもって体感し、尼崎に戻って能楽コーディネーターを肩書きに活動を始めます。
その活動はとにかく「橋渡し」。「よく劇場担当者から、公演の打ち合わせの際に能楽師との間に入ってもらうとありがたいと言われます。やっぱり能楽師はちょっととっつきにくいんでしょうか(笑)。能舞台の段差や隙間など、実際に立って事前確認もします。能楽師が出向かなくても、私が細かい部分までチェックして伝えて調整するんです」。実際の舞台経験がある山村さんだからこそできる、能楽師の世界と世間との橋渡しです。
そしてもう一つの橋渡しが、伝統ある芸能を未来へつなぐこと。子ども能楽教室では、現代の子たちが興味のありそうなキーワードをからめるなど、工夫をしているそう。「最近では『鬼』をテーマに取り上げると、食いつきがいいんです」。
能楽を広く知ってもらえるよう、挑戦を続ける山村さんですが「これやったら怒られないかな」と毎回心配しているそう。それでも止まらず動き続けるのは、600年以上続いてきた「能」を現代社会、そして未来へつなぐコーディネーターだから。能の「謡(うたい)」のように静かに語ってくれた山村さんからはその熱い想いはしっかりと感じられました。
取材・文/北原のぞみ
能とプロレスと介護を題材にした某ドラマにどはまり。ぜあっ!