尼崎コレクションvol.34 《けいせい弘誓船(けいせいぐぜいのふね)》

尼崎市立歴史博物館所蔵の逸品を専門家が徹底解説。この街の貴重なお宝が歴史を物語る。

この近松本がすごい

[作品のみどころ] 近松歌舞伎作品の中でも、この1冊しかないという、尼崎市立歴史博物館が誇る隠れたお宝の一冊をご紹介。

この本は、元禄13(1700)年に京都の都万太夫座(みやこまんだゆう)で二の替(初春興行)として上演された近松門左衛門作といわれる歌舞伎の筋書き本で、見開き3面に12場面の挿し絵が入っていることから絵入狂言本と呼ばれます。

作品の筋書きは、箱崎左門(はこざきさもん)が治める筑前国(ちくぜんのくに)で、悪行の末に廃嫡された長男太郎左衛門が、娘の身を立てるために城の乗っ取りを謀りますが、父の悪行を見かねた娘の自害によりその罪を悔いるという三番続きの筋立てです。上演に際しては、主役の箱崎左門に初代坂田藤十郎、左門を助ける立役(たちやく)博多勘介に初代中村四郎五郎という当時の二大看板役者が出演するとあって、興行は大成功を収めたようです。この本にも「当年も又二のか(替)はりがあ(当)たりまして、おてがら(手柄)おてがら」とあり、作品のヒットにあやかって急遽出版したものでしょう。

絵入狂言本は、17世紀終わりから18世紀初めに京都・大坂・江戸で盛んに発行されました。もともと浄瑠璃の正本(しょうほん:全編を一つにまとめた浄瑠璃の台本)を読み物として楽しむために挿し絵を入れた絵入浄瑠璃本が流行っていたことから、その体裁を歌舞伎狂言でも取り入れて物語のダイジェスト版として刊行したものです。しかし、絵入りの歌舞伎・浄瑠璃本ともに現存数は少なく、本作品に関していえば、他に2点確認されているのみです。しかし、他の2点にはいずれも欠損箇所があり、表紙・題箋を含めて完本に近い形で見つかったのは本資料のみで、今まで不明だった文字や文章が初めて明らかになった貴重な一冊です。

絵入りの歌舞伎・浄瑠璃本の現存数が少なく貴重なのは、もともと発行部数が少なかったのと、挿し絵がどんどん使われる様になって大流行した、草双紙(くさぞうし)などの娯楽本や『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』などの地誌類とは全く対照的に、18世紀半ば以降はあまり刊行されなくなってしまったためです。浄瑠璃や歌舞伎は読み物としてよりも、舞台を見て楽しむものというファン心理があったのかも知れませんが、何より絵入りの歌舞伎・浄瑠璃本は俗に「虱(しらみ)本」とも呼ばれ、少ないページ数に文字をギューッと詰め込むために、縦に押しつぶした独特の小さな細字で書かれているので正直大変読みにくい本なのです。あまり一般受けするものではなかったのでしょう。

ところで、この本には作者近松門左衛門の名はどこにも書かれていません。漸く作家として世に名前が出る様になった近松ですが、当時この作品が近松門左衛門作であることをどれくらいの人が知っていたのでしょうか。


室谷公一
尼崎市立歴史博物館学芸員 『けいせい弘誓船』は、現在尼崎市立歴史博物館の常設展示室で展示中です。