尼崎コレクションvol.29《「ジェーン台風浸水線」表示板(じぇーんたいふうしんすいせんひょうじばん)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

発電所が伝えた高潮の記憶

アメリカでは1940年代から台風の名称に女性名を採用していましたので、戦後、米軍の占領下にあった日本でもカスリーン(キャサリン)、キティ、ジェーンなど、アメリカ式の台風名が使用されていました。


今年9月4日、非常に強い勢力を保ったまま徳島県に上陸し神戸市に再上陸した台風21号では、近畿地方を中心に大きな被害が出ましたが、特に史上最高潮位を記録したとも言われている高潮による大被害が大阪湾沿岸各地で発生しました。関西空港や芦屋浜、六甲アイランドでの高潮被害がニュースで大きく報道されたのは記憶に新しいところです。しかし、尼崎市では、最南端の埋立地で一部高潮被害が発生しましたが、市域では全くと言ってよいほど高潮被害は発生しませんでした。これは、防潮堤が尼崎市沿岸部と武庫川・神崎川河口部を覆うように整備され、高潮から尼崎市域を守っているからです。

1950(昭和25)年、今年の台風21号と同じようなコースを通り、しかも1日違いの9月3日に阪神間を直撃したのがジェーン台風でした。ジェーン台風では、尼崎市域南部はほとんど浸水し、28名の犠牲者、200名を超える負傷者、約8千戸の家屋全半壊、約2万5千戸もの家屋浸水、そして、工業生産被害総額約140億円という大被害が尼崎市で発生しました。これを契機に、尼崎市は、市の命運を掛けた大事業である防潮堤建設を国・県と共に推進し、防潮堤は1955(昭和30)年に完成しました。

今回、紹介するのは尼崎市末広町に所在した関西電力(元、日本発送電)尼崎第一発電所の建屋外壁に埋め込まれた、長さ15センチ、幅6センチの小さな鉄製プレートで、『昭和二十五年九月三日「ジェーン」颱風浸水線』と文字が刻まれています。1986(昭和61)年12月、阪神高速湾岸線工事のため尼崎第一発電所が解体撤去されることになり、尼崎の近代産業史を象徴する大発電所の記録と資料を残すために現地調査を行った際に、第一発電所外壁の高さ約2メートルあたりに本プレートが設置されていることを発見。筆者が関西電力に交渉した結果、わざわざ壁から取り外していただき、尼崎市にご寄贈いただいたものです。

災害の記憶は年と共に薄れて行き、経験していない世代が増え、人々の記憶からは消え去っていくのは仕方のないことです。だからこそ記録に残しておくことが必要なのですが、このプレートを設置した当時の日本発送電の職員には、ジェーン台風ではこの高さまで高潮浸水があったことを後世に示しておかなければならないとの意識があったのかもしれませんね。


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 文化財収蔵庫はリニューアル工事のため休館中で、11月下旬に旧博愛幼稚園の仮事務所に移転します。