論:そろそろ廃線の話をしよう 尼崎市立地域研究史料館 西村豪

廃墟、廃車、廃線といった「廃れモノ」がブームとなって久しい。
それらを訪ね、記録するといった活動も盛んに行われているようだ。ここ尼崎にも地図から消えた線路が存在する。今回は尼崎市域の廃線を紹介しよう。

①尼崎港線(国鉄)

1891~1984(93年間)

尼崎港線や尼港(あまこう)線と呼ぶのは通称で、書類上は福知山線の尼崎支線。馬が牽く鉄道として開業し、その後動力は蒸気機関車、ディーゼル機関車へと変わった。開業から廃線まで93年におよぶ長い歴史をもつ尼崎最古の廃線だ。

②国道線(阪神)

1927~1975(48年間)

昭和2年、新たに開通した阪神国道(現国道2号)の真ん中に路面電車が走り出した。ところが阪神国道は両市のバイパス道路として人家の密集地帯を避けたルートをとったので、沿線のほとんどは田園地帯。人家も商店も工場もないため最初は経営不振だったが、その後沿線の開発が進み乗客は増加した。

③尼崎海岸線(阪神)

1929~1962(33年間)

海沿いに今津に至る計画線の一部として開通。出屋敷駅の本線下りホーム南側から発車した電車は単線2駅の区間をのんびりと走っていた。国道43号開通の身代わりとなって廃線。将来の延長を見越して複線分のスペースが確保されていたが、活用されずに終わった。

④杭瀬連絡線(阪神)

阪神の本線と国道線の連絡用につくられた。両線は線路幅も架線電圧も同じだったから相互に行き来することができたのだ。戦後、③の尼崎海岸線では国道線の車両が走っていたので、国道線の車庫を出た電車はこの連絡線を通って出屋敷駅に向かっていたはずだ。

【専用線の世界】

各種機関が事業活動のために設置した私設鉄道を専用線という。尼崎の専用線はいずれも貨物輸送専業で、国鉄(現JR)線と接続しているので、全国各地とモノの受け渡しができたのだ。ここでは国鉄の資料による“専用者”(線路の名義人)を各線の名称として見ていこう。

⑤住友金属工業鋼管製造所

昭和20年に着工したが、完成前に終戦となったため工事は中断、その後工事を再開して開通。

⑥旭硝子尼崎工場
⑦日本硝子尼崎工場

⑤と同じく昭和20年に着工、戦後開通。このとき尼崎港駅の構内が中在家町の浜手にまで拡張されて、そこからさらに西へと線路が伸びていた。

⑧麒麟麦酒尼崎工場

大正7年にビールの釀造を開始。大正8年の図面によると、すでに工場に線路が引き込まれている。国鉄尼崎駅のホームから高く積み上げられたビールケースがよく見えたものだ。

⑨久保田鉄工神崎工場

工場は昭和29年にできたが、それより前、同地には日通の倉庫が建っていて、既に専用線も敷かれていたようだ。

⑩神崎製紙神崎工場

1953~1995(42年間)

国鉄尼崎駅北側を東へ、園田橋線を踏切で越えて南に進路を変え、東海道線(JR神戸線)の下をくぐって工場に入っていた。

⑪三菱瓦斯化学尼崎工場

かつての福知山線下り線は東海道線の南側に大きく弧を描いていたが(これも廃線)、その内側に同社の高圧ガス製造所があり、線路が引き込まれていた。

⑫住友金属工業

昭和16年、プロペラ製造所神崎支所として開設。専用線の開通時期は不明。東海道線南沿いにホームと屋根があった。

⑬阪急電鉄

空襲で被災し、荒れるに任されていた住友金属工業プロペラ製造所の一角に昭和22年、ナニワ工機の工場が設置され、阪急の車両を皮切りに、全国に向けて鉄道車両を送り出した。東海道線の車窓から阪急や東武の新車を見るのが楽しみだった。専用者の名義がナニワ工機ではなく、同社の大株主である阪急電鉄になっているのは謎。

⑭尼崎市中央卸売市場

1967~1980(13年間)

昭和42年現在地に新築移転、尼崎市場駅が開設された。

⑮内外輸送大阪支店

上坂部の福知山線沿いに工業用アルコールの専売制度に基づく大阪通商産業局の分室があり、貯蔵タンクが建ち並んでいた。アルコールはタンク貨車に積み替えられて各地に送られた。

⑯森永製菓塚口工場

詳細は不明だが、塚口駅貨物ホームの片隅に専用線をもっていたようだ。

⑰三菱電機伊丹製作所

昭和15年の開設当初から専用線を引き込む計画だったが、完成は戦後にずれ込んだようだ。変圧器など大型で重量のある製品を出荷する際には専用の貨車が使われた。

【専用鉄道(構内軌道)の世界】

最後に、国鉄(現JR)線と接続せず、独立した状態で運用されている私設鉄道をあげておこう。

⑱尼崎製鋼所/尼崎製鉄

尼崎製鉄の高炉から銑鉄を尼崎製鋼所に輸送し、鉄鋼に精錬するため、熔けた銑鉄を積む貨車が両工場を行き来していた。

【運行中の専用鉄道】

(番外1)新日鉄住金尼崎製造所
(番外2)大阪チタニウムテクノロジーズ尼崎工場
両線とも現役の構内軌道で、小さな機関車が今日も貨車を牽いて走っている。新日鉄住金の方は五合橋線を越える踏切があるので、間近で見ることが可能。

産業都市の記憶を訪ねて

昭和50年代以降、トラック輸送への切り替えなどで専用線のほとんどは姿を消した。廃止後の跡地は、全国的には遊歩道や自転車道として活用されている例もあるが、土地を遊ばせておけない都市部では、現役当時を偲ばせる状態で保存するのは難しいのが実情だ。

今回調べてみて、産業都市尼崎だけあって多数の専用線が存在していたことがわかったが、実態が不明確なものも多く、知られざる廃線をご存じの方はぜひ史料館まで情報をお寄せいただきたい。

国道線(阪神)


にしむらごう
尼崎市立地域研究史料館勤務。産業都市だけでなく、多彩な顔をもつ尼崎。史料館に寄せられる相談事例もそれだけに幅広く、対応に苦しむこともありますがその奥深さにハマっています。

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