Rest in peace最後はお墓参りへ

近松ゆかりのお寺訪ねて

毎年近松の命日(11月22日)に近い10月下旬の日曜、広済寺と隣接する近松記念館を会場に「大近松祭」が行われる。昭和11年から始まった歴史あるこの一大行事には、毎年200名以上が参加するらしい。墓前祭では、文楽の人形遣いが特別参拝して焼香し墓碑に水をかける粋なシーンも。館内のホールでは文楽も上演され、一年で近松の里が一番熱くなる日なのだ。そんな伝統行事を今年も見逃した私は、小春日和に誘われて、広済寺にあるという近松門左衛門のお墓参りに行ってみることにした。

JR塚口駅の南東。紅葉美しい近松公園の隣りにある広済寺の門をくぐる。正面の立派な本堂の脇にある墓地にその人の墓はあった。墓石の大きさだけでいうと、大作家にしては小さい印象だが…。お参りの前にご住職を訪ねた。父親から継ぎ15年となる石伏叡齋住職が、広済寺の歴史と近松とのゆかりを教えてくれた。

禅寺としての創建は平安時代だが、戦乱に巻き込まれ荒廃していた。それを江戸時代になって再興したのが大坂・寶泉寺住職の日昌上人。その協力者に近松門左衛門もいたという。近松が活躍した道頓堀近くに寶泉寺があった縁から親交を深めた二人。本堂裏には「近松部屋」と呼ばれた小屋まで建てられた。売れっ子作家は、大坂の喧騒を離れ、静かな久々知の地で、落ち着いて執筆する環境を得ていたという。現在、その建物は残っていないが、当時の部屋の階段や文机といった遺品は隣接する近松記念館で展示されている。

ところで、日ごろ文楽や近松ファンが墓参りに来ることはあるのだろうか。「ごくたまに海外からの研究者が来ることもありますよ。確かこの前はイギリスからでした」と石伏住職。さすが「東洋のシェークスピア」なエピソード。最後に、大作家の墓石の前で失礼があってはならないと、墓参りの作法を石伏住職に尋ねてみると、「堅苦しく考えず、どうぞ気楽に参ってください」とのこと。大作家の墓を前に緊張しつつ「はじめまして、近松さま。またあなたの作品を勉強してきます」と手を合わせたのだった。


参考資料:『近松門左衛門三百五十年』『近松に親しむ その時代と人・作品』松平進(ともに和泉書院)『文楽のこころを語る』竹本住大夫(文藝春秋)『仏果を得ず』『あやつられ文楽鑑』三浦しをん(双葉文庫)『曾根崎心中』角田光代(リトリモア)『文化デジタルライブラリー』 http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/(日本芸術文化振興会) 取材協力:ピッコロシアター 園田学園女子大学近松研究所