尼崎コレクションvol.26《近松門左衛門書状(ちかまつもんざえもんしょじょう)》15.4×81.8cm

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

近松の余生伝える一通

日本が誇る歌舞伎・浄瑠璃作家で、尼崎にゆかりの深い近松門左衛門が、知人に宛てた晩年の手紙。戦後発見された唯一の自筆書状です。


新春のご吉兆どなた様もめでたくお慶び申し上げます。貴方様ご家族もつつがなく御元気にご越年されたとの事承りました。惣内様も永い間のお疲れも全快され、岸和田へお出でになられたとのこと重ねてめでたく存じます。私もお聞き及びの通り妻子共に無事越年いたしました。私は今だ痰や咳が強く、腰や胸が引きつり歩行も心ままならない状態ですが、一段と食事はおいしく、七十二歳の春を迎えました。多門の店も賑やかで、誂えの絵も多くあり、忙しくしております。少々でも暇を見つけてそちらへも行こうかと思っておりますが、暇がなく過ぎてしまいました。去年より大和郡山で古道具の出物が多く出ていると私に京都の道具屋衆が打ち明けてきました。貴方様もいらっしゃいませんでしょうか。商売も繁盛のご様子めでたく存じます。九八郎殿の怪我はよくなりましたでしょうか。これまた慮外ながらお伝えください。この手紙を岡田兵次様へお届けください。大坂方面へ御用の際は必ずおっしゃってください。私どもは年寄りですが、多門は達者でおりますので、それなりのことはおっしゃってください。またお会いしましょう。恐惶謹言

近松門左衛門

二月十八日
かん取や五郎左衛門様


近松門左衛門の私生活は、まだまだ謎に包まれています。この手紙は、近松が家族ぐるみで付き合いのあった和歌山の道具商山本(梶取屋(かんどりや))五郎左衛門に年頭挨拶の返礼として送ったものです。文中に近松の没年齢である「七十二才の春を迎」とあることから、この手紙が亡くなる享保9(1724)年11月の9カ月前のものであることが分かります。近松は2年ほど前から体調を崩し、この年1月に発表した『関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)』が最後の作品となりました。手紙でも「痰(たん)や咳(せき)が強く、腰や胸が引きつり歩行も心ままならない」と嘆いています。

しかし一方では、食事が進むことや大和郡山での古道具見物に誘うなど、意欲的なところも見られます。それまで、『曽根崎心中』や『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』など100作以上もの作品を書き上げ、多いときには月1本のペースで作品を発表するなど多忙を極め、竹本座の座付き作者として運営にも参画するようになってからは、興行の成績にも常に頭を悩ませてきました。売れっ子作家であった近松が、ようやく持てた自分の時間を楽しもうとする雰囲気が伝わります。

文中に頻繁に登場する「多門」とは、絵師、表具師として活躍していた近松の息子です。晩年の手紙では必ず多門の商売向きや近況を細かく報告しているところから、晩年は随分と頼りにしていた様です。多門は近松夫婦にとって遅くできた子どもと思われ、商売が順調な様子をうれしげに報告する様子からは子煩悩な父親としての一面も窺うことができます。

今でこそ偉大な劇作家と称される近松ですが、当時、顧みられることのない市井の芸能に身を置く生活は決して恵まれたものではありませんでした。しかし、余生と呼ぶには余りにも短い期間ですが、渡世を離れ妻子と過ごす様子は随分と楽しげで幸せそうではありませんか。

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室谷 公一●尼崎市教育委員会学芸員
「尼崎城ブーム?のおかげでとても忙しくさせてもらっております。」