尼崎コレクションvol.31 工業の神(鉄鋼戦士像)【こうぎょうのかみ てっこうせんしぞう】
尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。
駅前に鎮座する工都の化身
[作品のみどころ] 今は樹木に隠れて見にくくなっていますが「工業の神」をよく観察してみてください。像のどこかに尼崎市の市章をいくつか見つけることができますよ。
中央公園内の北西の植え込みに、木々に隠れてひっそりと「工業の神(鉄鋼戦士像)」が鎮座しています。「工業の神」は、工都尼崎にふさわしいシンボルをと、尼崎ライオンズクラブが創立15周年記念事業として彫刻家・胡本蟹平に制作を依頼したもので、1972(昭和47)年11月22日に除幕式が行われました。清荒神で美術品店を営んでいた作者の胡本蟹平は、弁慶の下駄(?)やマッカーサーのコーンパイプ(?)など、変わったものを売っている美術品店の店主として、1990年代にはしばしばテレビ番組にも出演していた著名人でした。
像はまるでギリシャ神話の神のような容姿で、逆立った太い髪が印象的です。また、左手にはやっとこを持ち、右手はハンマーを高く振りかざし、両足を前後に踏ん張って今にもハンマーを振り下ろしそうな躍動感あふれる風貌です。そして、像が建つ台座には「躍進する尼崎の姿 踏みしめる大地 火と燃ゆる情熱 槌の響きもたくましく 永遠に輝く 繁栄の鍵は 守り継がれる」との胡本作の碑文が刻まれています。
高度経済成長末期に制作され中央公園に鎮座したこの像は、まさに工業都市尼崎のシンボルと言うべき存在ですが、実は制作当時、この像の碑文に対する批判がありました。それは、像の序幕式を伝える某新聞記事が、「かみつかれた銅像“工業の神”生産第一主義だ」の見出しで、公害病認定患者の方々から「工業生産主義一辺倒の無神経な表現」などとの批判が出ていると報道していることからうかがうことができます。制作から50年近く経た今となっては、このような物議があったこともまた歴史の1頁であったと言えるでしょう。
筆者も「工業の神」は工業都市尼崎のシンボルであると評価しており、今から10年以上前のことですが、尼崎市では尼崎のまちをPRするためのネタを市職員に募集するという催しがあり、筆者は「工業の神」をモチーフに、当時流行していた“ゆるキャラ”に対抗して、“かたキャラ”つまり硬いキャラクターをつくり、尼崎市公認キャラクターにしてはどうかと提案したことがありました。もちろん誰も相手にしてくれませんでしたが。
桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 尼崎市立文化財収蔵庫をリニューアルした新博物館のPRに日々励んでいます。