中央公園70年史 Central Park chronicle

尼崎中央公園が開園したのは、1953年だが、その前史があったことも含め、長く尼崎の公園行政に関わった市役所OBの榎本利明さん(昭和2年生まれ)が教えてくれた。

市内初の幻の野球場

尼崎公園界のレジェンド!

戦前から尼崎では、労働者の間で野球人気が高まっていた。しかし市内に野球場がないことから、尼崎野球協会が市から尼崎駅前の約8200m2(甲子園球場のグラウンド部分の約3分の2)の広さの沼地を借用して整備(写真1)。バックネットの金網は地元企業から譲り受け、整備作業も有志の市民。約80万円の工事費も寄付で賄ったという。1948年に完成し市民に親しまれたが、公園の整備に伴ってわずか5年で幕を閉じた。

街頭テレビやサーカスも。

53年に中央公園が開園。賑わう尼崎中央商店街の休憩所として買物客によく使われていたようだ。植樹に力を入れていたが、「約160本の植木を一夜で全て折られるなどの被害もあった」と往時の駅前の雰囲気を伺い知るようなエピソードも…。

駅前で生まれ育ち、現在も駅前で喫茶店「nada」を経営する片山佐登美さんによると「広い運動場みたいな公園だった」とのこと。昭和30年代の始め、街頭テレビが置かれていて、芝生で毛布に包まって見た思い出も。猿回しやサーカス、大道芸も来ていたらしい。

69年以降、様々な整備が施される。園内の中央部には、噴水が設置された。(写真2)園内の西側には、中央交番が神田公園から移転してきたり、樹木が植えられたりした。また、タクシー乗り場が完成。現在の芝生広場の付近に位置していた。その東側にはバス停も完成。公園の範囲は現在よりも狭く、公園の東側には材木屋がまだ残っていた。

駅前シンボルの完成

81年には、公園のシンボルである噴水の改良が行われた。榎本さんが神戸で開かれていた彫刻展で知り合った香川出身の速水史朗(彫刻家)に依頼して完成した「水の主」。83年には、速水のデザインによるステージアーチが製作され、野外コンサート会場も。また、植木市など花に関するイベントが大規模に開催されていた。

それから約20年後の2000年には、庄下川の東側、総合文化センターへつながる立体遊歩道がオープン。こうして、現在の公園の形となったのだった。

写真1
53年の中央公園。左上に見えるのが野球場で現在の中央交番あたり。
写真2
1969年の中央公園。初代の噴水は今より広く縁石も高い。

写真提供:(公財)尼崎緑化公園協会