論:僕らが街を伝える理由 尼崎旅~あまたび~編集部代表 東和樹
2017年6月にスタートしたWEBサイト「尼崎旅~あまたび~」。尼崎市のグルメ、スポーツ、店舗の開店閉店情報など地元の今を映し出した地域情報を配信しています。誰かからお願いされた訳でもなく、「何か自分の育った街に出来ることは無いか」と同級生3人で始めた活動です。運営開始から1年経った今。私達が感じた尼崎を、今日は一献交わしながら振り返っていきたいと思います。僕たちの信条は「ありのまま」を伝えること。「ありのまま」の関西弁クロストークも今日はご容赦ください。
ヒガシ あまたび発足から一年。とりあえずお疲れ様と言う事で乾杯。
ユーキ いやぁ濃い一年やった。
一同 ほんまに(笑)
レオ 友達同士で始めてよくここまで続くねって言われたやんな(笑)。でもこうやって、地元の仲間と一緒に活動出来て、尚且つ自分の街の事やから、楽しく過ごせた一年やった思う。
ヒガシ ほんまその通り。この一年振り返って、活動前と今で改めて気付いた尼崎の姿とかある?
ユーキ これは皆感じたと思うけど、まだまだ知らんことがあったり、再発見がめちゃくちゃ多かった。
レオ ずっと尼崎に住んでるから、大体のことは知ってると思ってたよな。
ヒガシ いざ尼崎と真剣に向き合ってみると、こんなに尼崎ってイベントやってたん?とか、こんなにお店出来てたん?とか知らんことばっかやったね。
ユーキ そうなんよね。逆に言えば、こんだけ地元で頑張ってる人がいるのに、尼崎に住んでる人に情報が届いてない事が多いんよね。
レオ そうそう。やからこそ、自分達の役目である、お店(イベント)と住民を繋ぐ橋渡しの役目がこれからも重要になると思う。
ユーキ 要は、橋渡しが自分達の存在意義でもあるよな。
レオ にしても、この1年でほんまに沢山の人に出会ったよな。
ヒガシ うん。この1年だけで、今までの人生分と同じくらい、名刺交換したと思う(笑)。
レオ 新たに出会った人が、次あの人紹介したるわって事がよくあった。1人から2人、2人から3人と、どんどん繋がっていく。これも尼崎の風土なんかな。
ユーキ お店に取材行ったときも、あまたびさんや!って言ってもらえる事もあって嬉しかったし、少しずつやけど、自分たちの活動を応援してくれる人が増えてきたよな。
レオ わかる。取材させてもらう際も尼崎の人はあったかく対応してくれるよな。断られた記憶はほとんどないわ。これこそ尼崎の良さ、人情味のある街ってやつよな。
ユーキ 結局、ネットの時代になって人付き合いが減ったと言われつつも、なんやかんやで人が街を作っていってるのは不変。
ヒガシ ほんまにな。ただ、リアルの場だけでは情報の伝達にやっぱり限界がある。かと言ってネットの情報ばっかりだけでもあかん訳で。
レオ ネット×リアルの融合を実現させることが出来るのがあまたびやと思う。
ユーキ 新たな地域のコミュニケーションツールとして、これからも尼崎に寄り添って、少しでも快適な暮らしの手助けになるように取り組んでいこ。
ヒガシ 最後に、おこがましいは承知の上やけど、今の尼崎に必要なことや課題ってある?
レオ 俺…結婚するときに、奥さんのお婆ちゃんに尼崎出身って言ったら、めっちゃ心配されたんよな。
一同 (笑)
ユーキ でもお婆ちゃんのこの言葉が、今の尼崎の課題をどストレートに表現してくれてるよね。
ヒガシ 住んでる人間はそんな風に思ってないけど、外から見た尼崎はまだそういうイメージがある。明日すぐ変わる話じゃないけど、本当の尼崎の姿をコツコツとサイトを通じて映していこ。誰もが胸を張って尼崎出身と言える街に。
一献だけ交わすつもりが、気付けば時計の針は12時。いつものパターンなんですけどね。
夜な夜なアホみたいな話で盛り上がってた自分達が、今は晩酌も尼崎の話が中心です。仮に住む場所は変われど、自分が育った街が「尼崎」である事は、これからも不変。愛着のある故郷で、活動をさせて貰っている自分達は、幸せ者なのかもしれません。こんな自分達を応援してくれるラジオ、テレビ局、役所、南部再生、そして読者の皆さん。尼崎の人々は、本当にあったかいです。「あまたび」は、自分達だけで成り立つものじゃない事を忘れず、「故郷尼崎」にこれから力になれたらと思います。
代表 東 和樹(ひがし かずき)
1988年生まれ兵庫県尼崎市出身。市立尼崎高等学校体育科、大阪経済大学経営学部卒業。フリーランスでWEBサイト運営・制作業を営む。読者に寄り添ったサイト運営にこだわり、過去には年間1000万PV以上を達成。WEBサイト運営の経験を活かし、2017年6月に地域情報サイト「尼崎旅~あまたび~」を立ち上げ。あまたびの活動を地元メディアからも発信中で、現在テレビ局「ほっとネットベイコム」、ラジオFMaiai「もっとあまたび」に月1レギュラーで出演中。