R75+ インタビュー

人生経験を重ねてきたからこそ、見える景色があるはず。R75世代の足跡と今感じていることを語ってもらった。

終活は再活だ。アマの絵描き 高橋仁司さんの話

「絵を飾ってくれませんか」

「終活は“捨てる”という自分との戦い。形の残る自分の過去に区切りをつけることは、胸が痛みますね」と話すのは高橋仁司さん(75)。25歳から趣味で描いてきた絵画を処分しなければならないが、どれも思い出があり捨てるのは忍びないと悩んでいる。処分するにも、巨大なキャンパスに打った釘を抜くことも一苦労だ。終活をはじめてから多くの作品を処分してきたが、心の整理が付かなかった何点かは捨てられずに手元に残った。

「病院や公共施設に飾ってある絵は、レンタル業者から借りているもの。お金はいらないから、私の絵を置いてもらえないだろうか」と自身の絵がまちの中で生きることを想像する。

「私と同じ悩みを持っている人は多いと思う。絵を持っている人と、絵を飾りたい人を上手くマッチングする方法があれば」と解決策を模索する。「絵を見ているとまた描きたくなってくるもので、実は先月から絵を習いに行ってます。これから絵をたくさん描きたいわけではなく、残った人生をもう一度楽しみたいだけです」と笑う高橋さんの絵をまちなかで見てみたいものだ。

だれかの役に立てる充実感。筆耕の仕事人 中村美智代さんのお話

「多くの出会いが私の宝ね」

中村美智代さん(84)は、結婚後まもなく尼崎・園田に移り住むが、転勤の多い夫に連れ添って全国各地を繰り返すこと12回。その間、主婦として二人の子育てもしながら、幼少期から親しんできた書道を生かし、筆耕の仕事をしてきた。

再び尼崎に戻った55歳のとき、たまたま尼崎市シルバー人材センターの看板を見かけて、すぐに入会。尼崎でも筆耕の仕事を始める。筆耕と言えば宛名や賞状書きのイメージがあるが、中村さんが担当するのは、横断幕や看板のレイアウトなど工夫のいる大物が多いそう。ほかにも、大手企業の年頭訓示の挨拶台本の清書など、名指しで来るお仕事も多いのだとか。「社長さんから文章の内容まで相談されたりしてね、そういうのも楽しみなの」と微笑む中村さん。

人との出会いを大切にする性分で、センターで知り合った友人たちを招いて自宅でたこ焼きパーティで楽しむこともあるという。「いくつになっても声をかけてもらって、少しでも人の役に立つ仕事をさせてもらえる充実感が健康の秘訣ね」と教えてくれた。

いくつでも働くっていうこと銭湯の大女将 高好幸子さんのお話

「毎日の温泉が効いてるわ」

80歳を目前にして、脳梗塞で倒れ左半身不随になったという高好幸子さん(86)。毎日温泉に浸かり体をほぐすのが日課だ。そのおかげか「特に体のどこにも痛いところはないんよ」と言い切る。今も毎日、道意町にある銭湯「蓬莱湯」で、女湯にかかる暖簾の傍らに置いた椅子に腰掛け、お客に声をかけるのも役目だ。現在は、娘夫婦に代を譲るが、番台を守る娘・稲里美さんを傍らでそっと見守ったり、時々番台を交代したりも。同郷の宇和島出身の夫との結婚と同時に尼崎の銭湯に住み込みで働き始めてから、かれこれ60年の歳月が流れた。

普通のまちの銭湯だった蓬莱湯が、温泉掘削の大工事を経て、源泉かけ流し「温泉銭湯」に大リニューアルしたのが10年ほど前。温泉掘削の娘夫婦の決断に反対はなかったのか聞くと、「温泉掘るのは99%成功と思い、心配はしなかった」と、きっぱり。今、その温泉は、高好さんの体のリハビリに欠かせない存在だ。銭湯一筋に働いてきて、でも大きな変化にも柔軟に対応していく。小さな体に宿した強いバイタリティを感じた。