尼崎コレクションvol.27《丹波屋義信引札(たんばやよしのぶひきふだ)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

幻の尼崎名菓「ますかがみ」

[作品見所] 丹波屋の「ますかがみ」だけではなく、松和堂の「せんべい」、吉原の「ランキン」、木島の「ランプ飴」など、戦前の尼崎には名物と言われた菓子が色々ありました。今風に言うと戦前の尼崎はスイーツ王国でした。

「おやつ」特集に合わせて、江戸時代から昭和戦後まで尼崎に所在した老舗の和菓子商の引札(ひきふだ)を紹介しましょう。まず、引札とは何かから説明します。引札とは、企業や商店が得意先に年末年始の挨拶として配布した広告ポスター・チラシの類のことで、「絵ビラ」と呼ばれることもあります。絵柄には正月らしい七福神や美人画、実用性のある暦などが好んで使われましたし、彩色豊かな木版画・石版画で印刷されました。この引札もカラーでご覧いただけないのが残念なくらい美しい彩色の引札です。

さて、この引札は「干蒸御菓子司処尼崎西本町日雇辻角丹波屋義信」(新字体で表記)が発行したものですが、丹波屋義信は、1916(大正5)年発行の『尼崎郷土誌』によれば、丹波国黒井の庄(現兵庫県丹波市)から尼崎に来て菓子製造を始めた尼崎における菓子商の元祖であり、丹波屋が製造する「ますかがみ」という菓子は、皇族に献上したこともある尼崎名物であったとのことです。また、1936(昭和11)年発行の『尼崎商工名鑑』には、丹波屋の創業は寛延年間と記載されていますので18世紀半ば頃から尼崎の城下町で菓子商を営んでいたことになりますし、1937(昭和12)年発行の『尼崎今昔物語』によれば、丹波屋は子供向けの駄菓子とは違う高級菓子を製造販売する菓子商で、店頭には美味そうな蒸菓子が並んでいたとのことです。ちなみに「日雇辻(ひようつじ)」というのは、現在、尼信会館や尼崎信用金庫世界の貯金箱博物館が面している南北道路のことで、江戸時代にはこの辻で日雇人足を調達したのでこのように呼ばれていました。丹波屋はこの日雇辻と本町通商店街が交差する角地に所在していましたので、現在の43号線北沿いということになります。

それにしても気になるのは尼崎名物「ますかがみ」ですね。大阪市内の某老舗高級和菓子店では「萬寿鏡」と称するどらやき風の焼和菓子を現在でも製造販売しているようですので、それに類した菓子であったのかもしれませんが、もし尼崎名物「ますかがみ」が復活できれば、醤油・尼いもに続く名物復活となりますね。

文化財収蔵庫

9:00~17:30 土日祝も開館(月曜休館)●南城内10-2 TEL:06-6489-9801


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 「1・2月は連日、小学校3年生の団体来館の対応でしたが、やっぱり子供は元気ですね。」