らんきんをめぐる冒険

WHAT IS RANKIN?
明治の尼崎で作られていた名菓「らんきん」。
味も姿も形も謎に包まれたお菓子を求めて取材してみた。

江戸時代にあった幻のおやつ「ランキン」

尼崎の名物として「女性好みの芋、タコ、らん巾」としてタコの左隣に描かれたものが唯一のヒント。
郷土史料『上方第5巻』漫書「尼崎今昔」(小寺鳩甫)から転載。

「尼崎の大物で、江戸時代にオランダ伝来のランキンというお菓子を作っていたらしい」。そんな話題を耳にしたのは、2017年の秋ごろだった。尼崎城の再建が進む今、そのお菓子が再現できたら、大きな話題になりそうだ。

尼崎市立地域研究史料館の河野未央さんによると、大正~昭和初期の文献に、たびたび「ランキン」の記述が見られるという。大正5年出版の地誌『尼崎郷土誌』には、大物にあった「吉井屋」が「二百数十年以来の老舗にしてランキンを製造」といった記述が。(写真1)

他にも、明治生まれの商家青年、高田伊之助が大正2年に書き残した日記にも「本日、吉井屋のランキン三百五十を注文した」といった記述。ランキンが確かにあったことは分かるが、具体的にどんなお菓子だったのか。

伊丹市立博物館が所蔵する、吉井屋の栞には「らん巾」という表記に加えて「当時は蘭菓子(ランケーキ)と呼ばれて~」という文言があることから、洋風菓子のような感じもするが、謎は深まるばかり。

高校生の手でランキンの復活再現

しかし、その難題に挑戦する若者たちが現れた。2017年高校生パティシエコンテスト「貝印スイーツ甲子園」で特別賞を受賞した育成調理師専門学校(開明町)に通う高校生トリオだ(写真2)。授業で尼崎城の話題とともに謎のお菓子の存在を知り、「ぜひ銘菓を復活させたい」と、3人で取り組んだ。

ちょうど同じ頃、「株式会社TMO尼崎」が江戸時代の歴史や物語にちなんだおみやげものを作ろうと「尼崎城みやげ品評会」を開催。品評会への出品を目指してランキン創作に取り組むことに。時代背景を踏まえ、できるだけシンプルな素材や作り方を考えた。「これだけ記録に残っているのに、遠方に持ち運ばれた様子がないのは、持ち運びしにくいものだったのでは?」との推理を経て誕生したのが、丸いクッキー生地にきな粉をまぶし、さらにみたらし餡をかける一品だ。ホロホロっと口どけの良い素朴な味の和洋菓子に仕上がった。(写真3)

それでも、本来のカタチや色や風味など、謎はまだ霧の中…。かつて吉井屋のランキンを食べたことがある人、その噂を実際に聞いたことある人はいないだろうか…。会いたいなー、聞いてみたいなー。情報求ム!