スナックの先祖尼にカフェーがあった頃

1935(昭和10)年頃のカフェースタンドつるやの前に立つ女給さん。(写真提供:松光子さん)南城内にカフェーは1軒。庄下川の西側、軍艦街といわれた一角にカフェーが集まっていたという。

「カフェとちゃうで、カフェーやで」。戦前大流行した夜の社交場で育った松光子さん(85)が当時の思い出を話してくれた。三味線や踊り好きだった母が大正中期に東本町で開業し、その後は南城内へ移転。[つるや]の屋号で1階50席、2階にお座敷も備えた繁盛店だったという。「おべべ着て白いエプロン姿の女給さんが何人もいて、お客にお酌したり、おしゃべやチークまがいのダンスしたり、小型のキャバレーゆうたらわかるかな」という松さんの言葉から想像すると、カフェーはスナックの原型ともいえよう。戦時中は「国民酒場」と名前を変え営業していたが、空襲で全壊し[つるや]は閉店。南城内の花街はこうして姿を消したのだった。