論:尼の商店街には白い巳(みい)さんがいてはりまっせ 尼崎商工会議所 芦谷廣安

でかくなれよと/励ますように/空を指さす/煙突よ/俺はやるんだ/この街で/若い瞳に/飛び散る火花/うなるクレーンの/たくましさ

その頃について中央商店街近くの理髪店のマスターは「中央から出屋敷にかけて、朝早ようからずいぶん賑わったもんでした」という。「私らの店でも夜勤明けの工員さんたちがやってきて、さっぱりしたところでパチンコに行ってはりました」

時代のうねりで市場・商店街は…

それから40年。公害防止運動、重厚長大から軽薄短小への産業構造の変革、工場等制限法などによる工場の県外移転……。時代のうねりの中で南部臨海工場地帯は次第に活力を失っていき、そこに働く人たちも商店街から姿を消していった。

産・官・民一体の努力で尼崎は青空を取り戻したが、人口減に加えてスーパーの進出、24時間営業のコンビニエンスストアの林立、大型量販店の流入、さらには外国資本までがでんと店を構え、市場・商店街は崖っぷちに立たされた。

若者たちの足はにぎわいの大都会へ

どうすれば立ち直れるか―ひと頃よく「若者たちが集まる街づくりを」がキャッチフレーズのように使われ、私もかつてはそう思ったが、やがて「違うんじゃないか」と考えるようになった。

尼崎は大阪、神戸に近い。若者の足は自然ににぎいを求めて大都市に向かう。それにある大企業の都市開発担当者は、こう言っていた。「人の流れが絶えない大阪や神戸では大規模な開発事業をやって失敗してもやり直しがきくが、尼崎では取り返しがつかない」

地蔵、占い、丁稚体験… 尼崎には巳さんがいる

新三和商店街の路地裏にひっそりと佇む天龍神社

ならばどうする。東京の巣鴨地蔵通商店街がとげ抜き地蔵尊で「おばあちゃんの原宿」としていまや”全国区“になったことはあまりにも有名だし、大阪の福島聖天通商店街は「占い」を売りに「売れても占い商店街」として女性ばかりか修学旅行生が“丁稚体験”にやってきている。江戸時代からのお地蔵さんが地域の商店街を生き返らせ、商店主たちが歴史の中から占いを掘り出して商店街を活性化させたのである。

「しからば、商売繁盛、火難悪疫を除く新三和商店街の守護神である天龍神社の白龍(巳)さんにご登場願ってみてはどうだろう」とふと思った。巧みなイラストで今春の『南部再生』で紹介されている同神社の由来については別の機会に譲るが、いまも毎年7月1日には商店街の人々によって夏季大祭が営まれている。

学生諸君の発想で再びにぎわいを

折も折、関西の4大学と(株)ティー・エム・オー尼崎、市場・商店街が協同して活性化策を探っている。「商店街で買い物したことがない! 市場なんて行ったこともない!」学生諸君は、天龍神社の巳さんにぜひ目を向けていただきたい。諸君に奇想天外な付加価値をつけてもらったら、巳さんはじいさん、ばあさんだけでなく、きっと若い女性も招いてくれるだろう。

私も新聞記者時代に、”新三和の巳さん“を知り、ささやかな感慨を持つ。よかったら参考のために学生諸君にお話してもいい。それが尼の商人さんたちにいささかでもお役に立つならば、喜んで。


あしや ひろやす

1931年香港生まれ。1956年関西学院大学法学部を卒業、毎日新聞大阪本社に入社、本社地方部副部長、富山、高松、阪神各支局長、本社編集局編集委員。1986年尼崎信用金庫に入庫、企画部広報課調査役を経て、現在尼崎商工会議所理事。尼崎商工会議所機関誌「あくしい」の編集にかかわる一方で、「尼崎商工会議所創立80年史」「尼崎商工会議所創立90年記念誌」を編さん。1990年4月号から「谷公志」のペンネームで「あくしい」ティータイム欄に随筆を書いている。50年来のタイガースファン