写真とかたる 【5】 変わらない母校への想い
尼崎で撮った昔の写真を見て、当時の思い出を語ってもらいます。ご本人が写っている懐かしのスナップをお寄せください。
1961 開明町
写真の枠にぎゅうぎゅうに詰めこまれた児童55人。1961年開明小学校の卒業アルバムの1ページをお借りした。今年3月に城内小学校と統合し、130年の歴史に幕を下ろした、この小学校のすぐ南で、電気店を営む松浦真蔵さん(55)のアルバムだ。
「当時はクラスの人数が多かったので、何か個性がないと埋もれてしまう。どんなことでもわれ先にと競いあったもんです」と話す松浦さん。右上の寄せ書きを見ればその様子は一目瞭然だ。1枚の色紙はもはや戦場。壮絶な場所取り合戦が繰り広げられている。早いもん勝ちで文字を書く場所が埋まっていく。松浦さんが書いた言葉は、クラスの誰よりも大きな「日本男子」の文字。ずいぶん硬派な小学生だったようだ。
「いや、女の子にモテたかったし、好きな子もいたり…。この頃の感覚は、今の子どもたちとそんなに変わらんのとちゃうかな」と松浦さんは思い起こす。
写真を見渡せば、教室の後ろに「新日本の建設」の文字が並ぶ。「宇宙ロケットや鉄人28号が僕らの未来やった。ものすごい期待感があったよ。みんな社長になって日本を背負う気満々やったからね」。
卒業から40数年。現在、松浦さんが夢中になっていることがある。歴代の育友会メンバーを中心に、まちづくりのための委員会を立ち上げ、統合後の開明小学校の跡地利用について考えている。「何とか地域の人たちが気軽に使える方法を提案したいですね。この頃の思い出を大切にしてる人は本当にたくさんいるから」。
今回のご提供は…松浦真蔵さん
1948年尼崎市城内生まれ。開明町で電気店を営むかたわら、開明小学校の跡地利用にも取り組む。
取材・文 若狭健作