杭瀬再生

杭瀬といえばやはり商店街。最近、若手を中心にちょっとオモシロい動きが起こりつつあるようだ。

重鎮でなく、最年少を。36才の代表が挑む商店街づくり

最新、最年少!とにかくスゴイ商店街ができた!

古きよき杭瀬に新しい商店街が生まれた。2003年4月に振興組合化。新たなスタートを切った杭瀬栄町EAST商店街の若き代表山口進さん(36)に話を聞いた。

震災以降、人通りが減り、アーケードの老朽化も目立ってきた。改修のための補助金を受けるには、振興組合化が必要条件。しかし、このまちには、過去2回にわたって検討されてきたがいずれも実現しなかった経緯がある。

「そらやりたいことはなんぼでもありますよ。でも今はアーケードの改修に専念して、みんなが納得できるものを作りたいですね」と山口さん

「このままではダメになる―」。杭瀬栄町商店街で宝飾店を営む山口進さん(36)を中心に、若手商店主が立ち上がった。「毎週のように近所の居酒屋で杭瀬の将来についてやりあいましたよ」と振り返る。振興組合化や改修のためには、各店からの負担金の増額は避けられない。山口さんらは一軒一軒お店を回って想いを伝え、2003年、振興組合として新たなスタートを切った。

商店街には古くからの重鎮がいて、世代交代が難しいのが定説だ。しかし、同商店街は「最年少のリーダーを中心に、経験豊富な商店主が脇を固めている。まとまりある団体だなという印象でした」と、組合化を支援した兵庫県中小企業団体中央会の担当者・織田謙治さんは言う。

同商店街で古くからインテリア店を営み、役員・会長を歴任してきた寺田尚敬さん(60)は「今このまちに必要なのは若い人の感覚と行動力。これまでの商店街の常識にとらわれず思い切ったことをしないといけない」と話す。若冠36才、最年少の山口さんが代表理事を務めることに異を唱える商店主はいなかったという。

当面の課題であるアーケードの改修は、現在役員を中心にデザインを固めている。若きリーダーの視線はその先にある。「お年寄りが使えるコミュニティスペースや、近隣の学生に商店街でDJをしてもらったり…地域と一緒になれるアイデアを温めています」。若い行動力とアイデアで、尼崎の台所が生まれ変わろうとしている。

販促やチラシじゃない純粋に杭瀬ネタを紹介したい

まちに人あり。杭瀬限定フリーペーパーが復活?

店の宣伝ではなく、主役はまちや人。地域の魅力を再発見してもらおうと、97年から約4年にわたり発刊された情報誌があった。その名は「杭瀬ぼらぼら」。元編集委員、杭瀬栄町で酒屋を営む礒田雅司さん(41)に話を聞いた。

(左)昨年度は尼崎青年会議所の理事長を務めた磯田さん。今年から本格的に商店街活動に取り組むそうだ。
(右)A3判を三つ折りにしたリーフレットタイプのぼらぼら。バックナンバーはすべて在庫切れだそうだ。まさに幻の情報誌

「これまでの販促イベントやチラシと違う、地域情報を純粋に発信したかった」と広告や安売り情報を載せず、自分たちが面白いと感じるものを取り上げる「独立系フリーペーパー」だった。年4回、5万部を発行、新聞折込や買い物客に配り、マスコミからも注目を集めた。

杭瀬のユニークな人物を紹介する[WHO’S WHO]や、近所の主婦のグループが取材をする[ぼらぼら探偵団]など、A3版の紙面は裏も表もまちの情報がてんこもり。「杭瀬村という古い地域の伝統に加え、大阪・沖縄・韓国…と色々な文化が混在している寄せ鍋タウン。だから杭瀬は面白い」と磯田さんはを語る。

しかし、資金供給がストップし、多くの地元読者に惜しまれつつ、2000年に廃刊してしまった。印刷などの資金源はあくまでも商店街。「直接お店の売上につながらず即効性がない」ことが大きな理由だった。

「安売りや抽選会も大切だが、もっと長い目で10年先の商店街のイメージを発信していかないと」という磯田さんは現在復刊を模索中。

商店街や市場には、商売人それぞれの物語がある。「隣の息子が今度大学に入って…」「うちのおじいちゃんも今年90になって…」ちょっとしたお店での立ち話を瓦版的に発信していきたいと言う。「何とかして復刊させたい。ぼらぼらで以前取り上げたお店も、ずいぶん変わっていると思います。そんなまちに流れる時間を紹介したいですね」。