論:33年の連載を終えた尼子さんが今話すこと 尼子騒兵衛
累計発行部数900万部を超え、アニメ化や映画化もされている人気漫画『落第忍者乱太郎』。個性豊かなキャラクターたちが織り成すさまざまなトラブルを忍術とギャグで乗り越えていく作品は、国内外のファンの支持を集めています。「尼崎の騒々しい子ども」だったことに由来するペンネームに地元愛があふれる原作者の尼子騒兵衛さんに、描くことの喜びと尼崎への思いを聞きました。
室町時代後期の架空の忍術学園を舞台にした『落第忍者乱太郎』という漫画を1986年から33年間描いてきました。猪名寺乱太郎、摂津のきり丸、福富しんべヱという1年生の見習い忍者を中心としたギャグ漫画です。
漫画では、史料を見て現代人の私がおもしろいと感じたことを盛り込んできました。史実とフィクションの違いは分かりやすくなければいけないと考えて、自販機は登場しても小判は出てきません。室町時代には小判がなかったからです。でも、鉄砲伝来の年とされる1543年以前に忍者や水軍が鉄砲を使ったという説があるので、鉄砲は出てきます。
キャラの苗字に込めた思い
キャラクターの苗字には尼崎の地名をつけました。これは昔の地図を広げて考えたもので、「まちおこしのため?」と聞かれますが違います。1978年の尼崎市の住居表示の改訂で、「時友」や「友行」など鎌倉時代から続く地名が地図から消えたことへのアンチテーゼのつもりです。地名は文化遺産です。作品を通して尼崎の地名を知ったファンのみなさんが地名巡りを楽しむ一方で、地域の方々はそっと見守って下さっているのが、尼崎らしくていい感じだなと思っています。
築地のまちのにおい
江戸時代から続く漁港のまち、築地で育ちました。先祖代々、由緒正しい長屋育ちです。祖母は日本髪を結っていて、台所にはおくどさんがあったので、深川江戸資料館で実物大の長屋を見たときには母と「これうちやん!」と思わず叫びました。
船だまりに停まっている家船の中にテレビがあるのを見てビックリしたり、逆に船から私たちの家に水をくみに来られることもありました。母の若い頃はイワシを採った漁船が帰ってくると分かると、競って入れ物を持って買いに行き、傷まないようにすぐ頭とワタを取りました。
城の堀で囲まれている築地では、毎年のように子どもが溺れて亡くなりましたので、地蔵盆では辻々に提灯とお供えものをして供養しました。当番の家に集まって輪になって、「なんまいだー、すっぱいだー」とご詠歌を歌いながら数珠繰りをしたものです。提灯を持ち主の家へ返しに行くとお菓子とお駄賃をもらえるのが楽しみでした。築地の子ども会では、夏休みに初嶋大神宮の境内で映画を上映したり、上級生が公民館で宿題を見てくれました。忍術学園の面倒見のいい先輩たちは、あのときのお兄さん、お姉さんたちがモデルなのかもしれません。
楽しい思い出がたくさんある築地ですが、1995年の阪神・淡路大震災では大きな被害に見舞われました。液状化で家が傾いて、長屋暮らしもできなくなりました。困ったのは情報です。電気、ガス、水道がいつから使えるか分からず、暗澹たる気分になったものです。戦国時代に籠城した城が生き残れるかどうかの分かれ目は「援軍が来る」という生きる希望を持てるかどうかだったそうです。見通しがあるだけで、気の持ちようは全然違います。それ以来、希望は人生の栄養剤だと考えています。
ちょうどいい温度と湿度
連載を始めた頃は、会社員と漫画家と通信制大学の学生という三足の草鞋をはいていました。作家として独立した後でも、尼崎を出ようとは思いませんでした。大阪に近くて東京にも3時間。落ち着いて暮らせる尼崎から出ていく必要性を感じなかったのです。
尼崎の人たちの気質も、大都会ほどドライじゃなく、古都と呼ばれそうな町ほどウェットでもない温度と湿度がちょうど良くて、今も築地に住んでいます。
このまちで描き続ける
『落第忍者乱太郎』全65巻。風俗史を調べ、髪の結い方から服の着こなしまで、細部に史実が忠実に再現されている。
2019年に脳梗塞で倒れて以前のようなペースで描くことが難しくなり、連載を終えました。開始当初はギャグのネタに困ったりしましたが、キャラクターが立ってくるにつれて、話の発端を作るだけでキャラたちが動いてくれるようになりました。連載終了を発表したら「今までありがとう」と言ってくださる方がいて、お礼を言うのはこちらなのに、と感激しています。
描くことは今も大好きです。真っ白い紙に線を引いて世界が変わる瞬間の楽しさや、ペン入れのあと下描きの線を消すと絵が浮かび上がってくる満足感は、ほかの何物にも代えがたいものです。春からは新しい連載を予定しています。表現のかたちは少し変わりますが、これからもよろしくお願いします。
あまこそうべえ
尼崎市生まれ、在住。くノ一のため年齢は不詳。1986年から2019年まで朝日小学生新聞に「落第忍者乱太郎」を連載。忍者道具のコレクターとしても知られ、執筆や絵画展、講演活動など多岐にわたって活動。1993年に放送を開始したNHKテレビアニメ「忍たま乱太郎」は2020年で28期目を数える。2019年11月には尼崎市と作品の原画や関係資料を活用する協定を締結した。