尼崎コレクションvol.33 仮設住宅北城内案内板【かせつじゅうたくきたじょうないあんないばん】

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

仮設住宅の記憶と記録

[作品のみどころ] 仮設住宅が建っていた時に撮影した写真と、今年1月に同じアングルで撮影した写真です。

阪神・淡路大震災の発生から四半世紀の歳月が経過しました。この震災により、尼崎市では49名の人命が失われ、負傷者は7千人を超え、家屋の被害は全壊約5千7百戸、半壊約3万6千戸という甚大な被害が発生しました。住居を失った市民は震災当初は学校等の避難所に身を寄せ、筆者もほぼ週に1回のペースで泊まり込んでの避難所運営に当たりましたが、当時のことはまるで昨日のことのように鮮明に記憶しています。

2月からは応急仮設住宅への入居が始まりましたが、都市化が進んだ尼崎市には大規模な仮設住宅用地は少なく、市内各所に戸数の少ない小規模な仮設住宅が建設され、同年4月には歴史博物館建設予定地であった中央図書館東側の市有地にも40戸の「仮設住宅北城内」が設置されました。「仮設住宅北城内」は平成11年に解消されましたので、約5年間にわたり被災者の生活拠点としての役割を担いましたが、当該地が歴史博物館建設予定地であったため、筆者は、いずれこの地に建設される歴史博物館で、阪神・淡路大震災に関する展示を行う際の展示資料として、仮設住宅の東側入口付近に立っていた「案内板」を、市の仮設住宅担当部署にお願いして仮設住宅解消後にもらい受けました。それが写真の「仮設住宅北城内案内板」です。

結局、同地に歴史博物館が建つことはなく、現在は尼崎城址公園として市民や観光で尼崎を訪れた方々の憩いの場となっていますが、歴史博物館は現在の文化財収蔵庫の建物をリニューアルして今年10月に開館することになりましたので、歴史博物館の展示資料として活用するという筆者の意図は、震災後四半世紀を経て実現することになります。


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 1月・2月は出張授業で市内の小学校を回っています。