青大録 谷口雅美 訳

尼崎城主青山家の家臣、桑原重英が五代目城主である青山幸利の逸話63本をまとめた『青大録』。名将言行録にも名を連ねる幸利の人間性とユーモアあふれる行動を現代語超訳で再現。知られざる尼崎城主の姿に迫る。
監修 河野未央(尼崎地域研究史料館)

江戸城でハデめの大名たちがいつのまにか忖度しはじめた話

ある年のことだ。当時、江戸詰めの大名たちの装いはかなり派手だった。「ちょっと派手過ぎやしないだろうか」と将軍がご老中にこぼすほど派手だった。そこでご老中が幸利公にさりげなく尋ねた。

「諸大名がああいう派手な格好をするのはねぇ……。でも、大名のメンツがあるというのはわかるし、それなりの立場の大名たちに上様が頭ごなしに注意するのも変な話だし……何かいい方法はないかね?」

幸利公は即座に「お任せください」と請け負った。そして、かなり地味だが、渋い木綿の縞模様の裃(かみしも)を着て登城した。

「これはまた地味な装いで。どうされたんですか」と他の大名にからかわれた幸利公は、「いやぁ、こういう恰好のほうが上様に褒められそうかな、と思ってね」とサラリと言った。

それを聞いた大名はドキッとした。幸利公は譜代(ふだい)大名で、将軍家やご老中と割と近しい。ハッキリとは言わないけど、これはもしや、上様の御意向じゃなかろうか――。

いわゆる、忖度、である。「上様がそう言ったの?」などと幸利公に確認する大名はいなかった。

この話を聞いた途端、その日のうちに衣装を改めた大名もいた。もちろん、口コミは少しずつ広がり、地味な裃を着る大名たちが徐々に増えていった。二、三ヶ月もたつころには、派手な装いの大名は一人もいなくなったそうだ。

チャラい若者は嫌いだけど「人は見た目が9割」でもないという話

何はさておき、幸利公は元気な若者を好み、チャラチャラした軟弱な者はお好きではなかった。「だから、殿様は武士の常識に外れたような服装――長い袴(はかま)、短い羽織、長脇差、短刀はお嫌い」という噂が城内に広まった。

刀は長くなければならない、と考えた家臣たちはみな、長い刀を差すようになった。

徒士衆(かちしゅう)などの下級武士はめちゃくちゃ長い刀を差していたが、そんな刀を手に入れられない者たちは、刀の鞘(さや)だけを長くしてなんとか体裁を整えたようだ。つまり、衣でカサ増しをしたエビ天のような状態だった。

だが、それを見た幸利公が「あんなに鞘が長すぎたら、邪魔だろう。見得を張ったために使い物にならんのでは無意味だ」と言ったため、徒士頭(かちがしら)がカサ増しの鞘の先端部分をノコギリで切り落として回ったので、使い勝手がよくなった。

また、「幸利公が家来を選ぶポイントは、見た目だ。見た目の悪い男はお気に召さず、見た目のよい男がいいようだ」と言う者がいた。

しかし、これはデマだ。武用を重んじた幸利公は、体格のよい者を気に入っておられたから、若くて体が丈夫でイケメン、という三拍子そろった家来もいるにはいた。そういう者たちはどうしても目立つ。彼らが特別なだけで、全体もそうとは限らない。お気に入りの者の中には、かなり見た目の悪い者もいたのだ。

嘘だと思うなら、今は亡き幸利公の家来だった方々にお会いになるといい。あの方々は見た目があまりよろしくない。いや、正直申し上げて、かなり……お悪い。あの方々こそ、幸利公がイケメンばかりを採用したわけではない、という生きた証拠と言えよう。

アーミーナイフ的便利グッズよりも良質で丈夫な一品がいいという話

幸利公が尼崎城におられた頃、朝食、夕食、夜食をとられる際にはお相伴(しょうばん)をする者――お相伴衆が五、六人ずついた。

ある時、お相伴衆が最新の便利グッズのことを話題にした。

「筆の長さぐらいのもので、その中に刺刀(さすが)(小刀)、錐(きり)、耳かきの三品が仕込まれているのです。これ一つで三種類の用途に対応できるので、非常に便利だ、と京都で流行っているらしいですよ」

これを聞いた幸利公が言った。

「そういうものは急場しのぎだろう。無理やり機能をつけているということは、一つ一つはチャチで使い勝手が悪いんじゃないのか。荷物にはなるだろうが、丈夫でいいもののほうが、結果としていいような気がする」

携帯に便利という点にばかり注目していたお相伴衆たちは、「さすが殿様!」と感心し、この時のエピソードは末永く語られるようになったそうだ。

自分の木綿の布団を倹約して優秀な家来をヘッドハントした話

幸利公は大変倹約家で、尼崎城におられるときも、参勤交代の道中も、江戸におられるときも同じ木綿の夜具を使っておられた。こたつ蒲団も、敷蒲団を使い回すほどの倹約ぶり。

あるとき、こたつの火が蒲団に飛び火してしまったが、焦げたところを繕わせて、そのまま使い続けた。家来が「殿様の夜具にしてはあまりにも見苦しいので洗わせてください」と懇願したところ、洗濯している間に使う、替えの木綿蒲団をやっとつくってくださった。

幸利公がこれほど質素倹約に励まれたのには理由がある。

大坂城の守りの要でもある尼崎藩は、かなりの人手が必要だった。

幸利公は「倹約したら、人件費に回せるじゃないか。優秀な家来だって、じゃんじゃんヘッドハンティングできるぞ」と言ってはばからず、「きらびやかな持ち物など役に立たない」とお好きではなかった。

それを聞いた家臣たちは「幸利公はただのドケチではない。ちゃんと意味があってのことなのだ」と感心しきりだった。


この作品は「青大録」を床本に現代的解釈を加えたもので、史実か否かは一次史料(同時代史料)による検証が必要です。


たにぐちまさみ
尼崎市在住。「99のなみだ」などの短編小説集に参加。児童書『大坂オナラ草紙』で再デビュー。ツイッター(@masami511610)上でショートショートを発表中。小説の他、シナリオや「尼ノ國」取材記事もこなす「ものかき」。