阪神尼崎駅前に描かれた平成の夢

「未来行きの列車に乗るためのいろいろな計画を進めています」という文章に高揚感があふれる市報。

30年前の尼崎の雰囲気を探ろうと、尼崎市立地域研究史料館に保存されている「市報あまがさき」をめくってみた。

平成3年1月の市報特集版のタイトルは「ここに行けば未来が見える」。市内各所のハード整備とその未来像が華やかなイメージスケッチとともに16ページにわたって紹介されている。

注目は、阪神尼崎駅周辺。当時の市の計画ではJR尼崎や立花、阪急塚口を「都市核」、阪神尼崎駅はこれらとは別格の「都心」という位置付けで、驚くような大規模な開発構想が打ち出されていた。

現在、駅と総合文化センターを結ぶ立体遊歩道は、駅から北へと伸びて国道2号線をまたぎ、そこからさらに東の総合文化センターと結ぶ巨大な回廊計画だった。

十間交差点付近には「21世紀型生活文化拠点の整備」と言葉の意味はわからないが、とにかくすごい施設ができそうだし、先ごろ再建された尼崎城の場所には、当時「歴史博物館」の建設が予定されていた。

立体遊歩道の完成イメージ

平成2年に尼崎市人口ははじめて50万人を割り込み、人口減少が顕在化してきた中、尼崎市は次々とバブルの空気をまとった都市基盤整備のプランを発表してきた。

これらの整備にかかわった元・市役所幹部は「高騰する土地を買収したり借りながら、ものすごいスピード感で整備がすすんだ。その頃の代償は今も尼崎市の宿題として残っている」と指摘する。

その後バブルが崩壊し事業計画が見直されながら、平成7年の阪神・淡路大震災でさらに規模の縮小が迫られることに。平成のはじめに描かれた夢のプランは、こうして今の姿となったのであった。