尼崎の「平成」ってどんな時代だったんですか。

尼崎市立地域研究史料館 辻川敦館長に聞いた平成三大トピック

尼崎が体験した平成の大きな出来事としては、最初に「阪神淡路大震災(平成7年)」が思い浮かびます。液状化による被害が大きかった築地では、住民主体による復興計画づくりがすすめられました。この経験がその後の尼崎のまちづくりの流れを作っていくことになります。

平成を象徴する二つ目の出来事は「新しい市民団体の誕生(13~14年)」です。まちの未来を描く総合計画の策定にかかわった市民による「市民まちづくり研究会(13年)」や「TMOあまがさき(14年)」「自然と文化の森協会(14年)」「富松城跡を活かすまちづくり委員会(14年)」、この「南部再生」を作るあまけんだって平成13年に設立されていますしね。

三つ目は悲しい出来事ですが「JR福知山線脱線事故(平成17年)」を挙げます。近隣の企業や市民が自分たちの判断で救助のために行動したことは、本当の「市民主体」とは何かを象徴する出来事でした。

平成中期から尼崎市では特定の政党でも行政職出身でもない、いわゆる“市民派”市長が選ばれています。財政再建に取り組みながら市民との協働を探ってきた時代を経て、平成が終わる今、新しいまちの担い手が登場しています。平成に撒かれた種が次の時代に花開きつつあるのかもしれません。