平成とともに歩んだ、ある町工場の話
平成最後の南部再生を締めくくるのにふさわしい町工場が尼崎にあった。その名はずばり「平成製作所」。現社長の別府昌夫さんの父親である先代・昌則さんが、平成元年(1989)の改元時、元号に込められた想いに共感し、それまでの「別府鉄工所」から社名を変更。奇しくも昌夫さんが入社した年でもあった。
平成製作所の得意技は金属部品の加工。クレーン車やゴミ収集車、はしご車の部品など大きなものから、機械の細部に使われる小さな部品まで、ネジ1本でもお客さんの注文に応えてさまざまな部品を造ってきた。まさに工都を支える存在だ。
昌夫さんにものづくりへのこだわりを尋ねると、「ないです」と即答。「お客さんが喜んでくれたらそれでいい」。ぶっきらぼうな口調と骨張った手に、熟練の技術者としての矜持が見える。
31年に及んだ平成の時代はしかし、平成製作所にとっては順風満帆なものでは決してなかった。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では大きな被害は免れたものの、倒壊した阪神高速道路を再建するために、それまで手がけたことのなかった大型ねじの注文に四苦八苦。それでもなんとか納品し、高速道路開通のニュースに胸をなで下ろした。
それよりも大変だったのがリーマンショックによる不況。平成21年(2009)頃から注文がパタッと来なくなり、売り上げは3分の1にまで減少した。得意先を回ってみても、「だってそのお客さんのところに仕事がないんやもん」。アルバイトをしながらどうにか凌いだという。
たまに注文が入れば、どんなに納期が厳しくても、金額が安くても、何でも造った。「しゃあないやん。でも、そうやって頑張ったおかげで、いい仕事が入ったら回してもらえるようになってきた」と昌夫さん。景気の回復と共に再び注文が増え始め、危機を乗り越えることができた。
平成最後の年を前に、昨年の春、昌夫さんの長男・大樹さんが入社した。「まだまだ技術を身に付けるための努力が足りひん」と辛口の昌夫さんだが、それは3代目を担う存在への期待の裏返しだろう。
「もう平成も終わりやな」「うちはまだまだですよ」と、得意先と軽口を交わしながら、昌夫さんは「平成」の名を残す新しい商品の開発にチャレンジしている。自身が愛犬を亡くした時の経験を元に考案したペット用の骨壺だ。真鍮を素材に用い、円い部分や尖った部分、ねじ切りもあり、平成製作所のものづくりの技術が凝縮されている。
「注文を待ってるだけではあかん。これからは自分たちで商品を開発していかないと」。元号は変わっても、平成の名はこれからも続いていく。
平成製作所
TEL:06-6419-6261 8:00~18:00 不定休
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