論:猪名川の「豆島(まめしま)」発見記 NPOまちづくり道場・主宰 片寄俊秀

尼崎市内に、ガラパゴス島にも匹敵する興味深い無人島を発見した!

愛称ヤマカンの「山手幹線」が猪名川と藻川で囲まれた「戸ノ内」を横切るとき、その下流側に「おおぞら広場」という三角形の小さな公園がある。その突端から見るとすぐ前に、なんとも可愛らしい島がポツンとある。付近の人は「豆島」と呼んでいた。

え? 豆島の存在は、土地の人ならみな知っていたと言うなかれ。そこに太古の昔から多くの人々が暮らしていたアメリカ大陸を1492年に「発見」したのがコロンブスならば、規模こそ違え豆島の第一発見者はこの私!

発見したのは2012年の2月のこと。猪名川河川敷利用の現状調査に参加したときに、おや、この島いいなと心覚えに描いた。たまたまこのスケッチを、同じく国土交通省猪名川河川敷利用検討委員会のメンバーである猪名川河川レンジャーの亀井敏子さんに見せたところ、思わぬセリフが飛び出した。

「ここからの夕陽がとてもステキで、ロマンチックできれいなのよ!」

成る程と絵に夕陽を付け加えると、なんとも魅力的な島の姿が浮かび上がってきた。

よしっとこの絵を、狙いをつけた知人たちに自慢して回った。案の定、こんなステキな景色が尼崎市内にあったのか、いいね! 上陸して詳しく探検したい、と好きものどもがわらわらと集まってきた。いずれも「元・悪ガキ」の面々。ガキの時分に自然の中で思いっきり遊んで育った、あの頃の甘みな思い出を忘れられない高齢者ないしは後期高齢者ばかり約20名。そこで「第1次豆島たんけん隊」を結成し、藻川漁業協同組合にお願いして船を出していただいた。島に初上陸したのが、歴史に残る2012年4月18日。

近づくと島影には体長1メートルに近い巨コイの姿。アオサギ、カワウ、カラス、セキレイ、カモ類などトリも結構多い。ドキドキしながら上陸すると、驚いたことに島には先住者が居た。ガサゴソと藪から顔を出してこちらと目が合うや、あっという間に姿を消したのは見事な毛並みのヌートリアの子どもが5匹。親の姿は見えなかったが、あとで木の根元に大きい穴があり、ここが棲家らしいと見た。

一行のひとり、樹木医の藤原春善さんがさっそく島の植生状況をチェック。外来種の巣窟だなあ、あっこれはいかん! 特定外来種に指定されているトウネズミモチがたくさんある。これはヌートリアと共にすぐにも除却しなければ、などとつぶやきが聞こえる。手早い調査の講評では、植物は30種を超えるが植生はかなりひどい状況だ、今後は外来種を駆除して在来種のエノキ、ムクノキ、センダンなどを大事に育てる努力が必要だとのこと。

たんけん隊では、その後毎月1回の定期会合を持ち、委員長、副委員長は地元連協会長の山口昇次さん、村田和之さん、事務局長に出本眞次さん、顧問に藤原さんと第一発見者の小生。会の名称は「出会いの島(豆島)プロジェクトチーム」と決定。

その後活動は精力的に展開してきた。春夏のイベントには摂南大学の学生さんたちのEボートで遊覧船を運航。おおぞら広場では野点やコンサート、朝市、ゴムチンでドングリを島に届ける、里親を募集して島で採取したエノキ、ムクノキの種を育ててもらい2年後に植え戻すという悠久のプロジェクト、尼崎市の助成を得ておおぞら広場にクルマイスロードを提案型協働事業で実施するなど。

大きい展望としては、豆島をモデルに自然破壊の進んだ猪名川流域の植生復活、ひいては自然環境復元へと大運動へと広げたい。いっぽう小生は、絵本「豆島の大ぼうけん」とマンガ「カッパの豆次郎漂流記」に取りかかっているところだ。


かたよせとしひで

環境芸術家、尼崎南部再生研究室顧問。著書『商店街は学びのキャンパス』(関学出版会2002)、『まちづくり道場へようこそ』(学芸出版社2005)。近著に『おもろい商店街のなかのメチャオモロイみつや交流亭物語』(NPO法人みつや交流亭2014)。尼崎市在住。