サイハッケン 日本初のブラジル人サッカー選手がいた

長く住んでいても意外と知らないまちの愉しみ。「へえ~」と目からウロコの再発見!
ディープサウスの魅力をご堪能ください。

ネルソン吉村
(1947~2003)80年に現役引退後はヤンマーで指導者に。90年からセレッソに移行する93年まで監督も務めた。来日後、日本国籍を取り、日本名は吉村大志郎。

さあ、ワールドカップだ、王国ブラジルで64年ぶりの開催だ、と心躍らすサッカーファンは尼崎にも多いことだろう。実は、その王国の技をもたらした日本初のブラジル人選手は尼崎にいた。そんな話を耳にして、足跡を訪ねてみた。

その男の名はネルソン吉村。1967年、尼崎に本拠を置くヤンマーディーゼルサッカー部にやってきた日系ブラジル人二世だ。

矢野正人さん

「すごいテクニックでした。足に吸いつくようなドリブルや走りながらボールを宙に浮かせて相手を抜くプレーなんて、当時誰も見たことがなかった。みんな必死で真似したもんです」と語るのは74年に入部した矢野正人さん。JR尼崎駅に近い同社の工場に勤めながら、60代の今も複数のチームでプレーを続ける。

「彼は練習熱心というか、とにかくサッカーが好きでしょうがないんですよね。職場でも、いつもボールを足元に置いてじゃれ合うように遊んでいた。ついたあだ名が“ネコ”です」

70年代のヤンマーは、天才ストライカー釜本邦茂と、中盤に「ボールの魔術師」ネルソンを擁し、黄金時代を迎えていた。JSL(日本リーグ)と天皇杯で初の二冠を達成し、ブラジルへ遠征したのもこの頃だ。

ネルソンの活躍により、ヤンマーはカルロス・エステベス、ジョージ小林、ジュリオ上田…と、ブラジル人選手を続々招く。個人技を活かし、絶妙なパスをつなぐブラジル流サッカーは、尼崎から日本全国へ広がったのである。

その伝統はJリーグのセレッソ大阪に引き継がれたが、ネルソンが種を撒いたブラジルサッカーへの熱き思いは、今も生きている。尼崎のグラウンドでは世界を夢見る少年が球を追い、矢野さんは選手時代の遠征以来40年ぶりにブラジルを訪れ、W杯を観戦する。


取材と文/松本創
やはり日本にブラジル・サッカーを広めた指導者、ネルソン松原の自伝『生きるためのサッカー』を最近手がけました。