神主のぶらり街歩き

連載第25回 尼崎最北端をぶらり

「尼崎の北の端はどこやろ」。ふっとわいた疑問を解決するべく、阪神尼崎から尼崎市バスの43番系統(宮ノ北団地行)に飛び乗った。そして、たった200円でバスに揺られること約50分、同じ尼崎市だというのに当社近辺とは違い田畑が目立つようになって、終点・宮ノ北団地に到着した。

昭和41年から建設されたという30棟が林立する団地の間を抜けて、突き当たりの伊丹市立高校を左折。途中、「伊丹市池尻7丁目108番」と書かれた電柱と、「尼崎市西昆陽3丁目38番」と書かれた電柱がわずか3メートル程の間隔で立っていることに尼崎の北の端を実感しつつ、「清流園」という福祉施設を右折。舗装されていない道を北へ2~3分歩くと、「ヤマショク」という会社があり、その北側あたりが尼崎の北の端であろうとしばらく目印を探してみた。

しかし、「ここから伊丹市」とか、「尼崎市最北端」なんて表示は見当たらない。すぐ西の武庫川沿いを南北に走っている堤防道路にも表示を見つけることができなかった。結局、「尼崎市と伊丹市を跨いだぞ~」という達成感を感じることができないまま南下を始めた。

帰り道、尼崎重機という会社から道路をはさんだ東側に「武庫川六樋合併50周年記念」と「70周年記念」の碑を発見。昔々、水利をめぐる村々の関係と、自然災害などで水を確実に田んぼまで供給することが難しかったことが碑に刻まれていた。

また宮ノ北団地の南側には「須佐ノ男神社」が鎮座されていた。この神社は阪神淡路大震災で社殿が倒壊し、平成8年に地域の方々の協力により復興がなされたようだった。もちろん、今回のご縁に感謝し5円をお賽銭にしてお参りさせていただくこともできた。

武庫川六樋についても、須佐ノ男神社についても、その場所に説明書きがあったからこそ、知ることが出来た史実。やっぱり、「尼崎最北端」の表示も必要だよなあ、と改めて感じさせられるぶらりとなった。

さて、次号は西の端か、東の端か? どちらにしても端の目印は“橋”ですかね!


江田 政亮 えだ まさすけ
だんじり祭り、地域寄席…いつでも尼崎人にオープンなお社きふねさんの第17代宮司。「国道43号線にだんじりを走らせたい」と南部再生への想いは日々強まる。ラジオ番組「8時だヨ!神さま仏さま」(FMあまがさき毎週水曜日夜8時~)も好評放送中。podcastも。