りんかい百年物語

「森づくり百年の計」の前に、臨海部のこれまでの百年を振り返ってみよう。

尼いも畑に工場(明治~大正)

江戸時代、尼崎の海岸部には埋め立てられた新田が広がり、そこでは綿が盛んに栽培された。漁業も盛んで、尼崎城下町の中在家には大きな魚市場が築かれた。

明治になると、輸入品に駆逐された綿に替わり、新田地帯では「尼いも」と呼ばれた尼崎名産のサツマイモづくりが盛んになった。1889(明治22)年には大庄村が誕生したが、誕生当時の大庄村は尼いも栽培を中心とした農業と、丸島を中心とした海岸部で盛んだった漁業が主たる産業であった。1910(明治43)年、又兵衛新田に開設されたイギリス資本の日本リバー・ブラザーズ(現在の日油)の石鹸工場が、大庄村最初の大工場だった。明治終わりから大正にかけて、東隣の尼崎町(後・尼崎市)では急速に都市化・工業化が進み人口が急増したが、まだこの当時の大庄村は農村・漁村の域を出ていなかった。

工業地帯の創出(昭和初期)

浅野財閥の創始者浅野総一郎は、港湾・工業用地として大庄村臨海部に着目し、1929(昭和4)年に尼崎築港(株)を設立、1940(昭和15)年までに大庄村地先の海面44万5千坪を埋め立てた。そこには当時東洋一と言われた関西共同火力発電所や日本石油、尼崎製鋼、尼崎製鉄などの大工場が建設され、大庄村臨海部に重化学工業地帯が形成された。

しかし、1934(昭和9)年に阪神地方を室戸台風が襲い、台風の高潮により大庄村南部は大被害にあう。特に尼いも畑は壊滅的で、室戸台風復興の区画整理事業の影響もあり、畑は急速に失われ工業用地化していった。

工業地帯の栄枯盛衰(昭和戦後期)

戦後の1950(昭和25)年、今度はジェーン台風が尼崎を襲う。工業用水くみ上げを原因とする地盤沈下が深刻であった尼崎臨海部は、室戸台風を上回る高潮被害を受けた。そこで尼崎市・兵庫県は高潮対策として尼崎の臨海部を覆う防潮堤の建設を開始し、1954(昭和29)年に防潮堤と尼崎閘門が完成した。

高度成長期には尼崎の工業は大きく発展し、人口は増加し都市化が進んだが、一方で大気汚染や地盤沈下、水質汚濁といった公害の被害が深刻化した。特に被害が大きかった大気汚染は、臨海部に集中する火力発電所や工場からの煤煙が主たる原因であり、これに加えて国道43号線、阪神高速などの自動車排気ガスも原因となった。昭和40年代以降、高度経済成長の終焉や公害問題の深刻化により、工都尼崎を代表してきた火力発電所や金属鉄鋼メーカーの大工場が操業停止・転出に追い込まれ、厳しい時代を迎えた。

工業地帯のゆくえ(平成)

1990年代初頭のバブル経済崩壊、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災がさらに追い打ちをかけ、尼崎では大工場の操業停止・転出が相次いだ。しかし、一方でパナソニックPDP工場進出と撤退、大物流拠点の相次ぐ進出、尼崎運河の再生、そして「尼崎21世紀の森」構想に基づく尼崎の森中央公園の整備など、臨海部はもはや「工業地帯」というひとつの性格だけではない多様化したエリアへと急速に変貌を遂げつつある。果たして「尼崎の森」はこれからどう成長していくのだろうか。ぜひ長生きして確かめたい。

地図でみる臨海地域

1885(明治18)年
江戸時代以来の村々が散在し、東西を中国街道(現在の琴浦通り)が貫いている。海岸部に広がる新田地帯では尼いもを中心として農業が営まれ、武庫川河口部の海は砂州が広がる良好な漁場であった。

1920(大正9)年
新田地帯に海に面して日本リバー・ブラザーズの工場が既に進出しており、1905(明治38)年には阪神電鉄も開通しているが、それ以外は右の地図とあまり変わらない。

1953(昭和28)年
尼崎築港の埋立地に工場が多数進出しており、阪神以南は工業地帯、阪神以北は住宅地になっている。翌年完成の防潮堤や尼崎閘門はまだできていない。

2013(平成25)年
臨海部を阪神高速湾岸線が横断しているのが印象的。関電の火力発電所や神戸製鋼尼崎製鉄所はすでに撤退しており、その跡地が公園とパナソニックPDP工場になっている。

監修・尼崎市教育委員会 学芸員 桃谷和則

りんかい噂の真相 尼崎にもテーマパークが?

臨海部のテーマパークというと、あの夢と魔法の国や某映画スタジオなどが有名だが、かつて尼崎にも、そんな夢があったらしい。その名も、「(仮称)あまがさきチルドレンズワールド」、略してACW。時は平成一桁代、丸島地区の魚つり公園周辺に、セサミストリートの体験型テーマパーク「セサミプレイス」などの教育・レジャー施設の整備が検討されていたとか。

りんかい噂の真相 公害患者と家族の夢

今から約20年前、尼崎南部のユニークな未来予想図が描かれた。作ったのは尼崎公害訴訟の原告団の尼崎公害患者・家族の会。例えば、国道43号線・阪神高速道路を地下に埋めようとか、運河を使ったベネチア型住宅街を作り水の都として再生しようとか、臨海部の埋立地に尼崎新山を作ろうとか。公害で疲弊したまちを再生したい思いが描かれたものだ。

写真提供:尼崎市立文化財収蔵庫、尼崎市立地域研究史料館