43の南、海辺の森

今から10年前、尼崎で壮大なプロジェクトが立ち上がった。その名も「尼崎21世紀の森づくり」。舞台は国道43号線の南一帯だ。江戸時代に新田開発で広がった海辺の土地は、埋め立てを続け工業地帯へと様変わりした。激動の歴史を経て、次は「森を作ろう」というSFのような本当のプロジェクトに迫る。

特集取材=若狭健作 綱本武雄 香山明子 近森沙織

尼に森?一見唐突とも思えるこのアイデア、一体どこから生まれたんだろう。そのルーツを探ろうと、昨年から「尼崎21世紀の森協議会」の会長に就任した大阪大学院工学研究科教授の澤木昌典先生の研究室を訪ねた。

―まず構想のきっかけから

森構想の中心「21世紀の森中央緑地」の完成イメージ図。北側に芝生広場、それを取り囲む森の姿など少しずつその全貌が明らかになってきた。

関西電力や神戸製鋼といった重厚産業で栄えた工業地域が、80年代から少しずつ衰退をはじめ、臨海部の大きな敷地が空きはじめるようになりました。阪神大震災後にはさらにその傾向が強まり、当時の貝原知事を中心に臨海地域のあり方を見直すようなテーマとして、環境産業の誘致や水と緑の再生として「森」というキーワードをシンボルとして打ち出したんです。公害に悩まされた街をイメージアップするために「周回遅れのトップランナー」を目指そうというねらいもあったのだと思います。

―空き地に植樹するってことですか。

「森」という言葉から一般にはそう思われがちですが、この構想は単なる緑化のハナシではなくあくまでも“地域構想”なんです。つまり、国道43号線以南の地域全体をどのように再生するのかを示したもの。西宮にはヨットハーバーがあり、芦屋には浜辺の再生など阪神間の海辺にはそれぞれの「顔」がある中、尼崎では工業地域としての特色を活かしつつ、「自然」や「環境」をどう打ち出そうかと、10年間の地域づくりが続いてきました。

―こんな活動は他にもあるんでしょうか。

尼崎の森の活動のユニークなところは、これらに市民が参加しながらすすめている点です。北九州や川崎の工業地域では企業を中心にまちづくりが取り組まれていますが、尼崎では市民が苗木を育てたり、臨海部でイベントを企画したり、この場所にかかわりを持とうとする人々に支えられているんです。

―どんな森になるんですか?

更地から森を作ろうというプロジェクト自体が珍しい中、尼崎ではその育て方も独特の手法を取り入れています。まずは種へのこだわり。武庫川、猪名川流域から木の実(種)を拾い集め、そこから育てたものだけを植えていくんです。つまり地元主義。さらにそれらを計画的に間伐しながら育てる「里山」づくりのようなスタイルを取ろうとしています。

―いつ頃森になりますか?

20年もしたら森らしくなってくると思います。日本は江戸時代までは森と共生していました。明治に入って多くの森は切られてハゲ山になってしまい、再び植林されたのは明治の終わりになってから。つまり六甲山も100年前は今の姿とはまったく違ったんです。大阪大学の近くにある万博公園も、1970年の万博終了後から植樹をはじめてわずか40年で既に立派な森になっています。長いようで実は短いものだと思います。

―尼崎のプロジェクトに期待することは?

澤木昌典(さわきまさのり)
大阪大学大学院工学研究科教授。専門は都市計画。都市における公共空間の利用や緑空間の保全などについての研究多数。

地域構想というからには、土地利用も含めて時代の変化への対応が求められています。今は工業専用地域ですが、住宅は建てられないか、どんな産業を集めたらよいか、など街の風景を考えるきっかけづくりにもなると思います。構想から10年が経ち、いよいよそのシンボルである中央緑地が来年オープンします。森が目に見えるようになってきたので、これからはより多くの人が参加できるような仕掛けも必要ですね。個人的には、サンセットを眺めながらお茶を飲めるような空間が欲しいですし、尼崎の海辺は思いっきりハイセンスな使い方もしてもらいたいと思います。