農といえる尼崎

探してみればこんなにあった。農業にまつわる小ネタ集。

地元ブランド「尼崎牛乳」がある。

「あまにゅう」の響きに懐かしさを感じる尼っ子は多いだろう。小学校の給食に出てきた瓶入りの「尼崎牛乳」の愛称だ。

かつては市内にも酪農家が多く、新鮮なしぼりたて牛乳を飲むことができた。最盛期の昭和30年代には120戸で計1800頭の乳牛が飼育されていたが、高度成長期に入ると激減。西昆陽に残っていた最後の酪農家も昨年廃業した。

現在はすべて市外からの仕入れになってしまったが、加工販売業者も、小学校へ毎日届ける「尼崎牛乳事業協同組合」も健在。50年以上にわたって親しまれてきた“ご当地ミルク”は、これからも尼っ子の成長を支え続ける。

昭和乳業

浜2-20-1 TEL:06-6498-1177
給食以外で手に入るのは、ここの自販機だけ。牛乳、特濃、コーヒー3種類を販売。いずれも1本100円。

牧場の語り部が長洲にいた。

杭瀬北新町にある民家の軒先で、木の柵に囲まれた掲示板を発見。そこにあったのは放牧中の乳牛の写真と古地図。大正から昭和の初めにかけて、この界隈にあった牧場の記録らしい。展示の主は、かつて実家が牧場を経営していたという濱田喜代子さん(82)。「キリンビールからビール粕をもろうて飼料にしてた」「汚水を流すから庄下川沿いにも多かった」と当時の様子を話してくれた。

濱田さんによると、実家の「西牧牧場」のほか長洲周辺だけで8軒はあったが、戦前のうちにそのほとんどが閉鎖された。そんな知られざる歴史を「今の子どもにも知ってもらいたい」と、私費を投じて作った掲示板。尼崎農業の貴重な語り部となっている。

今も農家が359戸。数字でみる農業事情

江戸時代から昭和初期にかけて綿花や尼いもなど商品作物を数多く出荷した尼崎。だが戦後、農家数は激減。現在残る359戸のうち、市場などへ出荷する「販売農家」は150戸。他は「自給的農家」に区分される。

1991年には生産緑地法の改正で、農地を宅地化農地と生産緑地農地と2区分し、宅地化農地には住宅地並みの課税がされるようになった。そのため、後継者がいないことや、高額な税負担が出来ず農地を手放す人も多かったという。

現在、農地が残るのは園田地区の食満、田能、武庫地区など北部が中心。南部では大庄地区にまだまとまった農地がある。尼崎から農業の灯を消さないよう、消費者として農家を支えていきたいものだ。

「農業センサス」より作成(農家数は10アール以上の耕地面積または年間販売金額15万円以上の農家だけをカウント)

意外と食べてた? 尼の野菜

近郊農業の特徴とも言える軟弱野菜の栽培が尼崎でも多い。代表的な野菜としては小松菜、水菜、ほうれんそう、春菊など。市内のスーパーや八百屋でも“尼崎産”に出会える機会が多いはず。尼崎市公設地方卸売市場の市場年報(20年度版)によると、水菜にいたっては、全取引量101,678キロの、実に80%を尼崎産が占めているという。

尼崎の農業を知る良書がある。

平成18年3月発刊(非売品) 図書館、尼崎市立地域研究史料館などで閲覧できる。

戦後急激に農地が減少した尼崎。その戦後の農業のあゆみについて、96年から約6年かけて市内262の農家を訪ね歩き、聞き取り調査をしてまとめた本が、「尼崎の農業を語る262」。ページを繰ると、かつての尼崎の農風景が浮かび上がってきそうだ。