論:アマとロックと社会学 神戸山手大学 現代社会学部 准教授 南田 勝也

アマはロックな街やな、といわれたとして違和感をもつ人はほとんどいないでしょう。尼崎のイメージは、下町、庶民的、猥雑、粗野、そんな言葉が当てはまるかと思います。もちろん尼崎にも上品な地区がある!という人はいるでしょうし、その通りなのですが、重要なことは、多くの尼崎市民が、猥雑で活気のある街のムードや庶民的なコミュニケーションを自分たちのものととらえていて、そこにプライドを感じていることです。「汚い裏町があるとして、それの何が悪いねん」という感覚で、気取ったふるまいやお上品なやりかたを拒否する。近くに上品なイメージの街があることも、余計にそういう意識を強くするのかもしれません。

ロック音楽のメンタリティ

『ロックミュージックの社会学』
ロックとは何か?ビートルズ、ディランにはじまり、日本のロック受容史に至るまで、時代におけるインパクトを社会学的指標で検証する「ロックの教科書」的著書。B5 判・212 頁 青弓社ライブラリー18(1680円)

そのようなプライドの持ち方は、ロック音楽と似ています。ロックは、60年代のカウンターカルチャーの渦中に生まれた音楽ジャンルです。カウンターカルチャーは、それまでの常識的な社会観から逸脱しようとした人たちの運動でした。それまでの常識的な社会観とは、西洋的な正しさや規範のあり方のことで、それはそのまま世界を支配しようとする階層の価値観です。ベトナム戦争の戦禍を拡げることになった原因は、世界中に西洋人の正しさだけを押しつけようとしたことにありました。その反省をもとに、当時の急進的な運動家は、労働を否定するフラワームーブメントや、裸で向き合うヌーディズムなど、これまでの常識の外側を目指した運動を展開し、西洋的で唯一的な正しさを否定しようとしたのです。そんな時代の代表と目されたロックは、むしろ猥雑であること、粗野であること、すなわち社会的に作られたヒエラルヒーの下方向を志向することを、自分たちの正しさとしたのです。

60年代に生まれたロックのイメージは、今でも変わりません。ロックから派生したジャンルでパンクやグランジがありますが、その言葉はそれぞれ「与太者」「薄汚れた者」を意味しています。そうしたネーミングは、マイナスの意味合いで付けられたのではなく、人に蔑まれるようなことのなかに真実があるというロックの価値意識を表しています。常識なんか蹴飛ばしてしまえ、タテマエでは何もわからない、そんな意識です。

尼崎はロックな街か?

もちろん、尼崎で暮らしている人がみなそのような気質をもっているといいたいわけではありません。また、関西圏における尼崎の位置と音楽ジャンルにおけるロックの位置が似ているよね、という単純なことをいいたいわけでもありません。実はこういう相同性は、社会で生きるうえで人がおこなう「選択」に関係しているのではないか…と社会学者は考えるのです。

たとえば尼崎を離れてどこか郊外の街で暮らすようになった人が、生活様式の違いにとまどいを感じたとします。シミーズ姿のおばちゃんが街を歩いているわけでもなく、昼間から酔っぱらって話しかけてくるおっさんもいない。街角の気取ったカフェでは、ファッション誌の格好をまねたカップルや模範的な幸せ親子が和やかに談笑している。どこかよそよそしくて、むずがゆくて、馴染めない。そんな彼が、たまたま好きになった音楽がビートルズだったとして、彼はビートルズの何を好きになったのでしょう。おそらくは、教科書に載っている美しいメロディを奏でるポップシンガーとしてのビートルズではなく、反常識的なパフォーマンスで時代を築いたロックシンガーとしてのビートルズに惹かれたのではないでしょうか。

尼崎で培われた「眼」

人が生まれ育った環境のなかでつちかわれた目線のあり方(それを、専門的には「社会的な眼」といいます)は、何を良いと思い良くないと思うかという趣味の選択にも関係しています。そんな発想から、人と人、人と文化のつながりを考えるのが社会学という学問であり、また私の研究スタンスでもあります。先ほどの事例は、実は私自身のことに他ならないのですが、そういう自己の感覚も客観的に観察して、何かしら社会学的に語ることを見つけだす、そんな作業をつづけていきたいと考えています。


南田 勝也

1967年尼崎生まれ。出屋敷の街で高校まで過ごす。千葉大学、関西大学大学院を経て、現在、神戸山手大学現代社会学部准教授。ポピュラー音楽を題材に現代社会論やメディア論を研究している。主著に『ロックミュージックの社会学』(2001年、青弓社)、『デジタルメディア・トレーニング』(2007年、有斐閣、共編著)など。