時代を超えて変幻自在。表記の秘密

解説文・尼崎市立地域研究史料館 辻川敦 館長

かつて尼崎は、雨がふるとぬかるみだらけの「泥が崎」だと揶揄(やゆ)されたものでした。最近はそんな悪口も聞かなくなった、と思っていたら、あるドイツ人の方からいただいた年賀状に「尻崎」とあって脱力しました。まあこれは、悪意のない書き間違いですが……。

ところで地名というのは、近代以前は概して表記がアバウトでした。西昆陽(にしこや)を西小屋と書いたり、長洲(ながす)は古くは長渚だったり。江戸時代には「尼崎」「尼ヶ崎」「尼カ崎」といった表記が混用されますが、明治22年(1889)の町発足時に「尼ヶ崎町」と定められ、続いて大正5年(1916)の市制施行時には、古来公式文書や戸籍簿のうえで「尼崎」という表記が基本だったという理屈を町側が申し立てて認められ、「尼崎市」となりました。

市外にも発見!
京都市伏見区で「北尼崎町」と「南尼崎町」を発見した。京阪電車丹波橋駅から近い閑静な住宅街。つながりのほどは定かではないが、他にも上京区に「尼ヶ崎横町」、岐阜市に「尼ヶ崎町」などがある。
ネットで学ぶ歴史
市役所HPからも通史や豆知識を発信する地域研究史料館。地名、人物名、年代、出来事…尼崎の歴史にまつわるキーワードを検索できる「 apedia(アペディア)」なるシステムも手がける。

さらに違う書き方もあります。中世の記録には、「あまがさき」を「海士崎」「海崎」「海人崎」などと記した例があり、海士(あま)、つまり漁民、海民が住んだ猪名川・神崎川水系河口の突き出た場所=岬、崎というのが、地名の語源だと考えられます。

古来、地名は土地の歴史を映す鏡である、と言われます。海が運ぶ砂が堆積して砂州から陸地となり、漁民・海民が漁業や流通に従事した土地の成り立ちを見事に表現する「あまがさき」という地名。まさに、地名研究の教科書のような地名だと思います。