尼で生まれた沖縄のうた

戦前、普久原朝喜が大阪・西淀川で沖縄民謡のレコード会社を興すなど、阪神間は沖縄民謡と縁が深い。近年は、阪神大震災で尼崎発信の沖縄音楽が生まれている。

琉球民謡歌手の川門正彦は、関西で活動するため1994年12月に沖縄から尼崎に移住した。ちょうど子供も誕生していよいよと思った矢先、阪神大震災に襲われた。自分にできるのは音楽しかないと、音楽仲間と被災地をまわり被災者と交流する中で「チバリヨー」(がんばろう)という曲を書いた(別項に歌詞)。通常、歌詞に年号を入れることはタブーとされるが、彼は忘れられないようあえて「1995年」にこだわり、2番の歌詞の冒頭に盛り込んでいる。

P4で登場した「琉鼓会」も、被災地支援をきっかけに地域の「元気、勇気、生きる力」のため演じ始めた。99年、沖縄の「全島エイサーまつり」に本土から初出場した時は、「1世の思いを背負って3世が踊る」の一心で舞った。旗頭に描かれた3つの炎の文様は、阪神大震災の犠牲者、沖縄戦の犠牲者、沖縄出身1世の魂を表わすという。旧盆を過ぎたころ園田界隈に響く太鼓とヘーシ(囃子)には、沖縄人として、そして尼崎人としての過去と未来へのメッセージを感じずにはいられない。

チバリヨー(2番)

作詞・作曲 川門正彦

(歌詞)
1995年に起(う)こりたせ 関西ぬ根(に)ぬ揺りとんち
うひなーぬ人々(ひとぅびとぅ) まー行ちゅたが
教(なら)ちくみそり 親(うや)がなし

(対訳)
1995年に起こってしまった 関西の地と人と魂が揺すられ
多くの人々は どこに行かれてしまったのでしょうか
教えてください 神様


文:稲垣 暁