尼崎ウチナーンチュの足跡 沖縄県人会のあゆみ

「県人会の紹介で…」。今回の取材先でこう言うと、一気に距離が縮まった。尼崎に本部を置く沖縄県人会兵庫県本部の35年史をひもといてみた。

復帰運動で培った郷土愛

太平洋戦争で故郷は焦土と化し、肉親の安否すらも分らず尼崎に住む沖縄出身者たちは途方にくれていた。軍需工場では規模縮小による人員整理が相次ぎ、その矛先は沖縄出身の女子挺身隊員へ向けられた。彼女らの救済を目的に尼崎沖縄人連盟が1945年に結成。さらに神戸や阪神間へと広がり、46年8月には沖縄人連盟兵庫県本部(のちに沖縄県人会兵庫県本部と改称)が設立した。生活の相談、渡航の手続き、沖縄復興の義援金集め、機関紙の発行など活動は多岐にわたる。「差別との闘いや復帰運動を通して強い結束が生まれた」という新里事務局長。

同郷たちの駆け込み寺に

復帰運動から親睦へと県人会の性質は変わりつつある。現在会員数は最盛期の約半分とはいえ、5000人を数える大所帯。約7割が尼崎在住者だ。3世や4世が増えた今も、事務局には沖縄関連史料から沖縄そばの仕入れ先まであらゆる相談が舞い込む。

35年史『ここに榕樹あり』より抜粋
沖縄返還行進に向かう県人会武庫川支部(1959)
体育祭20周年大会(68)
尼崎市民まつりでのパレード(78)