まつり 第一回 まつりの持つ力

日本人でこの世に生を受けた以上、少なくとも一度は関わるであろう「まつり」。人々が集い楽しむ場である。そこで我々の先祖伝来の究極のまちづくりの手段でもある「まつり」を探索してみよう。

DNAが騒ぐ最高のイベント

「明日、うちまつりやねん」。このように話しをすると「えっ、夜店は出んの?」と聞き返される場合が多い。実際多くの日本人が「まつり」と聞くと、だんじりやお神輿が出たり、夜店で金魚すくいをしたりと楽しい思い出をもっているはずだ。これは「まつり」がいつの時代も変わらない、日本人の心を呼び覚ます楽しい行事であることの証明であろう。

この「まつり」という言葉にはどのような意味があるのだろうか。広辞苑によると「(1)まつること。祭祀。祭礼。(2)記念・祝賀・宣伝などのために催す集団的行事。(3)特に京都賀茂神社の祭りの称。葵祭」とある。神職の私は(1)の意味で「まつり」と表すが、多くの日本人は(2)の意味で認識していると思われる。

さて、多くの神社のまつりで共通していえるのは、氏子(地域住民)の結集力の素晴らしさである。神社側が何もしなくても、地域から盛り上がりを見せ、まつり本番を迎えることが多い。そして日頃は地元を離れている人もまつりに合わせて帰郷し、だんじりや神輿などの練り物を楽しむ。中には盆も正月も帰らないがまつりだけはきっちりと帰ってくるという人もいるくらいだ。

また、ご婦人方も賄いなどでまつりをサポートする。子ども達は夜店を楽しんだり、「将来は絶対乗るぞ」とだんじりや神輿の担ぎ手などを憧れの目で見つめている。昨日、今日始めたものではない、伝統のあるまつりだからこそ、地域を挙げて盛り上げているのだろうし、楽しんでいるのだろう。

こんなまつり、どんな優秀なイベントプロデューサーが手がけてもできっこない。その地域で生まれ育ち、まつりのDNAがしっかりと組み込まれている人が集うことで行なえるものなのだ。「まつりの力を侮るなかれ!」と自らに言い聞かせる毎日である。


江田 政亮 えだ まさすけ
昭和44年尼崎市生まれ。関西学院大学卒業後、産経新聞社入社。平成5年の父で先代宮司死去後、第17代宮司として現在に至る。