「ミスター西大物」熱く語る

2004年4月のオープンにむけて、再開発の目玉ともいえる民間商業ビル「(仮)尼崎モリビル」の工事が着々と進んでいる。1フロア650坪、地上5階建てのビルに大型スーパーや飲食店、約40店舗が入る。ビルのオーナー、森木材工業株式会社は創業から100年近く西大物町にいる地元企業だ。4代目社長で、現会長の森浩一郎さんに話を聞いた。

「これまでの尼崎のイメージを変えたいのよ」

森浩一郎さん
森木材工業株式会社 会長
1922年尼崎市大物町生まれ

「西大物町に会社を構えてもう100年近くになります。私のおじいさん(初代社長)が西大物町の土地4300坪を買い、ベニヤ板の製造や加工業をはじめました」。北海道に49ヵ所も製造所を持ち、多いときには西大物町の本社工場だけで2000人ほどの工員がいた一大「町工場」だったそうだ。「周辺には工場で働く人たちの長屋が多く、狭い路地裏で子どもが遊ぶ姿もよく見かけました。とにかくにぎやかだった」と当時を振り返る。

1951年のジェーン台風の被害に加え、海外からの輸入品に押され、数年後には木材加工業から撤退。「初代から譲り受けた土地を手放さない方法はないか」と考えた末、不動産管理業へシフトし始める。敷地の東半分は売却し、1965年には庄下川に面した西側の敷地に関西では第1号のバッティングセンターを開業した。「東京で偶然見つけたのをきっかけにこれだと思いました」。「尼崎バッティングセンター(ABC)」は尼崎南部で働く労働者たちのストレス発散の場として時代のニーズにピッタリとはまったのだ。

時は流れ1990年、尼崎市は阪神尼崎駅の再開発として「都市拠点整備計画」を発表した。西大物町周辺には次々とマンション計画が立ち上がりエリアを結ぶ空中回廊の工事は進み、森さんの敷地の上にも迫ってきた。「市にはずっと尻を叩かれてたんですよ。周りがどんどん変わってくるのを黙って見ているわけにはいかないでしょ(笑)」と森会長。バブルに湧く当時の構想は建設費100億円、地上100mのオフィスビルの建設計画もあったが、バブル崩壊で、計画変更を繰り返し現在の地上5階建てに落ち着いた。といっても1フロア650坪の商業ビル。このエリアの目玉施設であることは変わりない。

「阪神尼崎駅といえばこれまで西側の商店街のイメージが強かった。だから東側ではまったく新しいイメージを打ち出して、少しでもまちを変えることができれば」と少年のように目を輝かせる会長。来年4月のオープンが楽しみだ。