論:尼と博打と男と女 スポーツニッポンレース部記者 是石真紀

尼崎在住ほぼ四半世紀、ギャンブル専門女性記者の是石真紀さん。園田競馬と尼崎競艇を行ったり来たりの日々に想う「尼とギャンブル2017」エッセイを綴ってもらいました。

赤字脱却した園田競馬

ダメな男の子はもれなく可愛い―─。私の持論です。

突然ごめんなさい。この歳になれば恥も外聞もないので正直に白状します。快楽に身をゆだねている男性、実は嫌いじゃないのね。酒に溺れたり打ったり買ったり。デキの悪い子ほど可愛いとはよく言ったもので、救いようのないバカな男も、なんだかんだと憎めない。

「論」と銘打たれた当欄。本来ならば、尼におけるギャンブルの現在過去未来、のような論説を記すべきでして、一旦はそれらしい原稿を書いてはみたのですが、全部消して書き直しております。よくある論調を避けられず、つまらないので。それでも少しだけ業界のお話をします。

中央競馬が5年連続で売り上げアップ。それも3年連続3%増とは、結構な数字です。同じく地方競馬も好況で、われらが園田競馬も赤字経営から完全脱却。2011年に荒尾競馬(熊本)が、2013年には福山競馬(広島)が廃止されるなど低迷の時期を耐え忍び、地方競馬は大復活を遂げています。

そこで質問。Q:売り上げ増の最大要因は?

確かにデータの上では、平均年間給与は増加している。それでも尼崎や十三をうろうろしている私の周辺では、ここ数年で急に庶民の可処分所得が増えたという実感はない。バブル期ならともかく、経済要因と密接にリンクしている明確な根拠は見当たらない。なぜ競馬は堅調に売れているのか。みなさんも考えてみてください。この続きは、またそのうちに。

博打の快楽は悪なの?

それはそうとして。せっかくですからよそには書けない、取っておきのくだらない話をしようと思います。

快楽は悪か否か―─。長らく私の中ではテーマの一つでありました。まあ、ええんちゃうか、お好きにどうぞ…というのが現時点での答えかな。なんせね、ギャンブル記者稼業を長らくやっていると、どうしようもないダメな男が周りにあふれてきます。どこを掘ってもダメ男。雨後のタケノコのようにグングン伸びてきて、豆腐の角で頭をぶつけても死ねないアホがゴマンといます。借金まみれ、失業、酒を飲みすぎて満身創痍、挙げ句は家庭崩壊(アカンけど)。でもね、そんな男を嫌いになれない。甘やかす女も共犯ですわ。

十三に行きつけのショットバーがありまして、そこのマスターがことあるごとに言うのが「酒飲みと博打打ちは言い訳がうまい」。ホンマそれ。自分の行動を、あらゆる理屈をつけて正当化する。初めて就職した同業他社の上司は、年がら年中、昼間から酔っ払っていた。かつ仕事中にギャンブル三昧。「身銭を切って打たないとプロじゃない」と都合のいい理屈をこねながら博打に興じる。机の上には、吸い殻満タンの灰皿。借金までして女に入れあげたりして。無頼を気取るのが格好いいと勘違いしていたのだろう。

90年代末、GLAYや小室哲哉の音楽が有線で流れ、住之江競艇で売り上げレコード(1レースで約61億円!)が出た時代。みんな、何をそんなに浮かれていたのだろうか。「西成の日雇いが3万もらって、1万持って飛田に行って住之江で1万、あとは宿と飲み代」と上司に聞いたことがある。バブルはとうに崩壊しているのに、まだ世の中には潤沢にお金が回っていた。遠い昔の話になってしまったなあ。

愛すべきダメンズたち

昔のギャンブル記者は、宵越しの銭は持たないとかそんな粋な世界でもなく、ひたすら“ダメンズ”のお話。スポニチ競輪面にも寄稿している作家、伊集院静さんの言葉を借りるなら「あれ(スポーツ新聞のギャンブル予想)を作っている記者連中は全員借金だらけ」(注・全員ではありませんよ)。

そういえば、アウトローを気取っていた私の周りのダメンズ連中は嫉妬したのか何なのか〝無頼派作家〟の伊集院さんを好きじゃなかった。京都のお茶屋で遊べて、頭が良くて美人にモテる男は嫌われるんだろうか。うらやましいくせに。

当時の上司は7割方亡くなりました。まあこの業界、還暦まで届かず死ぬ人間が多い。せやけど本望ちゃうかなあ。言い方は悪いけどけど大往生やわ。散々好き勝手やって、アッサリ死んで。残った人間はゲラゲラ笑って送れる。まさか「南部再生」に書かれているとも思わず、いまごろ天国か地獄で慌てているんじゃなかろうか。

故郷・小倉に重なる尼崎

公営ギャンブルは、マスコミ、関係者すべて愛すべき人が多い業界ですね。ありきたりな表現をすれば「泥臭い」。私は九州・小倉の工業地帯で、かつギャンブル王国で生まれた瞬間から、園田競馬と尼崎競艇で働く運命にあったのだと、この歳になって分かりました。尼崎と小倉は相似形みたいな町。子どもの時の原風景が、予想紙を握って博打場へと足を向ける人々だった。「鉄冷え」に差し掛かりつつある時代。ひとりひとりの人生に、とっても興味があった。みんなちょっと寂しそうで。

少ない手持ちから100円出して、馬券や舟券を握りしめ、きょうも園田や尼のフェンス際にいるオッチャン。人生にはスパイスが必要だよね。勝っても負けてもまた明日──。

がんばって生きていこう。みんな愛してます。


これいし まき

1973年、北九州市・小倉生まれの小倉育ち。1993年から尼崎在住。塚口、稲野、富松、園田など10カ所を転々。大学時代は硬式野球部でウグイス嬢。就職難の世代にも関わらず、就職活動をほとんどやらず留年→中退→某スポーツ新聞社に就職。2008年に一身上の都合により退社したのはいいけど、リーマンショックの直撃を受けて職に困る。スーパーで製パン業など紆余曲折を経て、2015年からギャンブル記者に復帰。ときたま野球場でアナウンスもする。