食の話練り物文化を今に伝える老舗

「手てかむ鰯」を行商が売り歩いた漁港の記憶を語り継ぐ天ぷらの老舗の歴史にせまる。

枡千
安政年間(1854~1860)にかまぼこ職人だった枡本千太郎が、東本町で創業。その名を略して「枡千」という看板を掲げ150年以上になる。現在の中央商店街に移転したのは戦後すぐ。●尼崎市神田中通4-86 9:00~19:00 木休 TEL:06-6411-0695

いわずとしれたかまぼこ・天ぷら店の老舗「枡千」。現在9代目の尾上節子さんを中心に、家族で江戸時代から続く看板を守る。創業者の枡本千太郎は、尾上さんのお祖父さんのそのまたお祖父さんにあたる。

「昔はうちみたいなかまぼこ屋さんが、尼崎だけで20数軒あったって祖父から聞きました」という尾上さん。昭和30年代のお店は今とは様子が違ったようで…。「昔は冷凍すり身なんてなかったので、大阪の中央卸売市場から一番電車に乗ってトロ箱で仕入れた魚を、職人さんたち30人くらいで1匹ずつ洗って通りでさばいていました。骨やアラは魚の餌として引き取ってもらったり、お店はとにかく魚だらけ。そのせいか子どもの頃は魚嫌いだったほどです」と祖父の写真とともに思い出を語ってくれた。

食の話大人気!お魚ゼミ

魚里本家
阪急塚口駅北、明治35年創業の鮮魚店。卸売だけでなく小売にも対応しており、誰でも少量から購入できる。魚屋の朝は早く閉店が午後1時(水土日は正午)なのでご注意を。

「満月の翌日は青魚の値段が上がる」、「関東と関西でお刺身の食感が違う」など、魚の生態からさばき方やレシピまで、魚を美味しく食べる知恵を教えてくれる授業がある。タイトルは「お魚ゼミ」。店主で講師の里村文崇さんは「お客さんの口に入るまで、魚を新鮮なまま保つのが魚屋の腕。本当の美味しさを伝えたい」と熱く語る。基礎講座はなんと無料。日程はホームページを参照。

食の話尼崎で培われたちくわ製造技術

“尼崎で生まれた我が国独自の技術なんですよ”
創業者であり父の跡を受け継ぐ山崎一毅(やまさき ひとき)社長。

『忍者ハットリくん』に出てくる獅子丸の大好物、ちくわ。そんなちくわ好きは尼崎に足を向けて寝てはいけない。なんとちくわの大量生産を可能にする機械の発祥がこの尼崎なのだ。

正しくは、それまで半自動で手間のかかったちくわ製造機の、完全オートメーション化に成功したのが、西長洲にある山崎工機株式会社だ。昭和20年代後半の発明以降は業界を独占し、現在でも全国シェア8割を占めている。

山崎工機の創業は昭和21年。戦時中の勤労動員で機械工の技術を習得した先代の社長が、当時東難波町にあったかまぼこ店「八百田」の店主より、かまぼこ製造機の修理を依頼されたのをきっかけに起業した。当時の尼崎は漁港があり、練り物屋も多数あったので、機械修理の依頼は絶えなかったという。技術力は口コミで広がり、道具片手に全国を飛び回るほどの忙しさとなった。

昭和30年代後半には、すり身の冷凍技術発明で大量生産が可能となり、ちくわなど練り物製造機の需要も高まった。この頃山崎工機は韓国へも練り物製造機を輸出している。「すり身は日本発祥なので、加工する機械も日本発。もしかすると日本の機械輸出初だったかもしれません」と山崎社長。「ちくわ製造機は日本人の知恵が入った機械です。さかな文化を、尼崎から世界へ発信していきたい」と誇らしそうに語ってくれた。

ちくわオートメーション機は全長20メートル。すべてオーダー品で、気になる価格は1台で尼崎のタワーマンションが2部屋買えるほど。1時間に2万5千本の製造可能な世界最速の4本取り製造機も製造するが、主流は省スペースの2本取り。

山崎工機

1946年創業。金楽寺でわずか10畳の工場から、世界で活躍する企業に。同社の製品は2006年メイドインアマガサキコンペ準ブランプリにも輝いている。

昭和27~28年頃の会社集合写真。前列左が創業者山崎義久氏