尼崎コレクションvol.35《東園田遺跡(ひがしそのだいせき)》

尼崎市立歴史博物館所蔵の逸品を専門家が徹底解説。この街の貴重なお宝が歴史を物語る。

邪馬台国・卑弥呼がいた時代の大集落

邪馬台国は魏志「倭人伝(わじんでん)」に出てくる卑弥呼が治めた国です。3世紀中ごろ、日本のどこかに存在したはずですが、明確な場所は特定されていません。今回はその時代に栄えた大集落、尼崎の園田地区にある「東園田遺跡」を紹介します。

東園田遺跡の場所は、阪急「園田」駅の北約700m、東園田町2丁目周辺、県道西宮豊中線の北、園田病院の北あたりにあります。発見された土器から遺跡の時代はおもに弥生時代後半から古墳時代前半にあたり邪馬台国・卑弥呼がいた時代、3世紀中ごろと重なります。

遺跡は猪名川下流域の標高約3mの場所に位置し、河川によって運ばれた土砂が堆積してできた少し高い丘のうえにあり、海にも非常に近かったと考えられています。

東園田遺跡は現在まで7回の発掘調査が実施されています。発掘調査が行われるたびに遺跡の範囲は少しずつ拡がり、現在では東西約300m、南北200mの範囲まで遺跡があることがわかっています。今後、調査が進み、さらに遺跡の範囲が拡がっていく可能性があります。

また、近年の発掘調査で見つかった貴重な遺物としては、鹿の絵が描かれた「イイダコ壺(つぼ)」や有力者が自らの権力を誇示するために使用したと考えられる杖「玉杖形木製品(ぎょくじょうがたもくせいひん)」(いずれも尼崎市指定文化財)などがあります。

この他に、東園田遺跡で特筆すべきことは、第1次の発掘調査から通して、大量の「土器」が遺跡から見つかることが挙げられます。見つかった土器の中には、地元の土器の他に、東は三重県・愛知県、西は岡山県・島根県、南は淡路島・徳島県、北は滋賀県・石川県で作られた土器が発見されています。これは邪馬台国・卑弥呼がいた時代、東園田遺跡に住んでいた人々と、日本各地の人々が交流していたことを示す重要な資料です。

邪馬台国・卑弥呼がいた時代に栄えた大集落「東園田遺跡」は尼崎にも大きな「クニ」があったのではないかと考えさせられる遺跡なのです。


髙梨政大
尼崎市教育委員会歴史博物館学芸員 東園田遺跡の土器は歴史博物館で常設展示しています。見に来てね。