論:大スポ王国なのか!? 尼崎 尼崎 大スポ制作部 岩崎正範

熱狂の2003年。ストーブリーグの珍騒動

ド派手な見出し 異色の夕刊紙

大スポが足を向けて寝られない街がある。それが尼崎だ。近畿2府4県、四国、中国地方なども販売エリアだが、ウチの販売部によると、尼崎の各駅売店、コンビニの売り上げは常に絶好調。「他よりも5倍増、いい時で10倍増です!」と圧倒しているというからありがたい限りだ。

ご存じのように大スポは野球、芸能の裏ネタから、プロレス、宇宙人ネタと徹底した娯楽路線を貫く異色の夕刊紙。ド派手な1面見出しに女性の裸も満載だ。昔、紙面に載っているオッパイを数えたら全部で30個以上もあった…。まあ、子供には見せられない。そんな“ハンデ”があるのに、これほどまで愛読してもらえるとは、尼崎は本当に品がな…いや、懐が深い。新聞受難の時代だけに感謝感激だ。

個人的にも尼崎は最高の街だ。新人時代、自分の記事が載った大スポが売れているかどうか、よく駅売店に様子を見に行った。当時、担当していた阪神タイガースは万年Bクラスのダメ虎時代。自分が書く内容は「中村監督にナインが怒りの“解任通告”!」など内紛記事ばかりで、その度に球団から猛抗議を受けた。記事は事実なのに怒られる。同じマスコミ他社からは白い目が…つらい。そんな悩みを顔見知りになったある売店のオバちゃんにボヤくと、こう励まされたのだ。

「あんたとこがウソを書いてるんやない。他がホンマのことをよう書かんからや」。ガーン! 目からウロコが落ちた瞬間だった。そうか、そうやったんか! まさに痛快なひと言。こんな支持の仕方をしてくれる人が尼崎にいたとは…。ちなみにその日の大スポ1面は『吸血鬼が日光浴をして死んだ』という強烈な“未確認第2次情報”。それを読んでいながら…だ。以前に『雪男に長男誕生』というこれまたトンデモ記事で「お前の会社は大丈夫か」と慌てて電話をしてきた実家のオカンとはえらい違い。自分はこのひと言で大スポ魂に再び火がついたのだ。

特ダネ追って阪神尼崎へ

尼崎は取材の舞台にもなった。プロ野球はシーズン終了とともに来季に向けた組閣作り、戦力補強など本格的なストーブリーグに突入する。記者にとって最も忙しくて真価が問われる時期になるが、実は阪神球団がこのオフの期間だけ密かに利用する“Xホテル”がこの尼崎にあった。場所は市の商工会議所近くにあるとだけ言っておこう。ここで何をするのかと言うと、球団は選手を極秘に呼びつけてトレードや解雇を通告する。選手にすれば物騒なホテル(失礼!)なのだ。いつ、どこでとマスコミには一切明かさずに、甲子園ではない隣り街の尼崎で選手の肩を叩く。記者泣かせな話であるが球団としても致し方ない。そんな中、18年ぶりの優勝に沸いた03年オフ、出場機会が激減した川尻哲郎投手をめぐる珍騒動が起きた。

川尻は1998年にノーヒットノーランを達成するなど、かつては藪投手とともに低迷阪神を支えてきたエース。ある日の午後、「川尻が今日尼崎に行くらしい」との極秘情報をつかんだ自分は特ダネ欲しさに“Xホテル”に直行した。いつもは「忙しいんだよ」と言いながら出てくれる川尻の携帯電話に反応はない。こりゃ、本当かもと慌てる一方、他社がいないのをしめしめと思いながらトレード通告の現場を押さえてやろうと鼻息を荒くしていた。

ところが、元々このホテルは一人で張り込んでも出入り口が複数ある。相棒のカメラマンは他の取材で不在。助っ人が必要だった。そこで“禁じ手”を思いついた。ホテルの前を歩いていた予備校生風の青年にダメ元で事の顛末を話すと「やります!」と“臨時大スポ記者”となることを快諾してくれたのだ。ミッションは別の出入り口で川尻が出てきたら携帯のワン切りで自分に知らせるというもの。しかし…。長時間二人で張り込んだものの、川尻や球団幹部は現れず、夜には無念のギブアップ。でも、尼崎には何て温かい人がいるのか!と感激の方が強かったのを覚えている。

後日談になるが「川尻が尼崎に行った」は実は当日、同じ尼崎でも競艇場でギャンブルに興じていたとか。ったく、とんだオチというか、青年よ、ごめんな(川尻はその後に近鉄への移籍が決定。見立ては当たっていた)。そんな尼崎には今も足を向けて寝られず、街で飯を食っては恩返したつもりでいる。


いわさきまさのり
1992年入社。プロ野球の阪神、巨人、オリックス、メジャーのヤンキースなどの担当を務め、2011年から制作部に勤務。巨人では2000年優勝、阪神では2003年、2005年の優勝を取材した。記者時代は球団からの取材拒否にもめげずにスクープを連発…と言っておこう。ちなみに国民栄誉賞の松井、鉄人・金本、番長こと清原もみんな大スポのファン。宅配の申し込みもやってます!詳しくは大阪スポーツ販売部(電話072・222・7641)まで。