サイハッケン ウルトラの父が尼崎にいた。

長く住んでいても意外と知らないまちの愉しみ。「へえ~」と目からウロコの再発見!
ディープサウスの魅力をご堪能ください。

目澤さんが成田さんからお借りしたという貴重な石膏像。ふとん店の片隅で、静かに尼崎の平和を見守っている。

ウルトラマンといえば、誰もが知っている特撮ヒーロー。高度成長期の熱気の中、先進の特撮技術やSFセンス、勧善懲悪に終わらないストーリーで圧倒的な人気を博し、今なお派生作品が作り続けられている。特にウルトラマンや怪獣の洗練された造形は、現在も多くの人を魅了してやまない。そのデザインを手掛けた人物が、かつて武庫川のほとりに住んでいたという。

彫刻家、成田亨。1929(昭和4)年に生まれ、外国航路船員の父を持ち転居を繰り返したが、8歳から14歳までの多感な少年期を尼崎(当時の大庄村)で過ごす。現武蔵野美大で彫刻を学んだ後、円谷プロに在籍しウルトラマンなどの美術監督を務めた。かつてのエピソードを求め、阪神武庫川駅近辺を訪ねてみたところ、高架下でふとん店を営む目澤隆治さんにお話を伺うことができた。

目澤さんが成田と出会ったのは、尼崎市立西小学校の創立50周年記念式典。成田が円谷プロを離れて20年が過ぎていた。当時、駅周辺の商業者と「ムカエル王国」を建国し、国王として地元や商店街活性化のイベントなどに励んでいた目澤さんは、「作家として縁ある地に作品を残したい」という気持ちを抱く成田と意気投合し、駅前にウルトラマンやセブンの彫像を作ろうと幾度となく語り合ったという。しかし残念ながら、この夢はあと一歩というところで実現を見ず、2002(平成14)年に成田は没する。

小学生時代の成田は、幼い頃に火傷を負い不自由だった左手や訛りで苛められたが、絵が抜群に上手く救われたという。友達と遊ぶより、武庫川の土手に座って空や沈みゆく夕陽を眺めているのが好きな少年だった。その川面には、幼少期の記憶や彫刻家として自らが創り出したウルトラマンへの想いが煌めいている。遥かに輝くM78星雲のように。


取材と文/伊元俊幸
丸刈り系中間管理職42歳。立花在住