論:まち研10年、つながる想い 尼崎市民まちづくり研究会代表 正岡茂明

『南部再生』の編集会議にふらっと顔を出してくれた正岡さんに「せっかくやから、書いてくださいよ」といきなりの原稿依頼。県立尼崎高校の校長先生で、まちづくりに情熱を燃やす彼が代表を務める「まち研」の10年をご紹介いただきました。

「まち研」、正式には「あまがさき市民まちづくり研究会」と言う。10年前、尼崎市の第二次基本計画の策定に、市民自らの調査研究を取り入れようと、「市民まちづくり研究員」の募集があった。38名の市民が研究員として3つの部会に分かれ、約1年間かけて提案をまとめた。これは、分厚い冊子として残っている。この研究会は提案をまとめた後一旦解散となるが、提案を実現させるべくイベントや勉強会を続けていこうと有志たちが、平成11年に「あまがさき市民まちづくり研究会」を発足させた。

尼崎のイメージアップを

城内フォーラムでの演奏会は旧警察署建物の剣道場で開かれた

3つの部会の一つが、「誇りたい、売り込みたい尼崎のイメージとは?」をテーマにしたこともあって、その後の研究会でも尼崎のイメージアップをどうするかが大きなテーマだった。提案の中に、「アミュージアムネット構想」なるものがあった。これは、アミューズメント(娯楽)とミュージアム(博物館)を重ねて作った造語に、ネット(網)をくっつけたものだ。箱物の博物館を作るのではなく、すでに存在する街ごと(街ぐるみ)博物館にしてしまおう、そしてその際尼崎らしく娯楽や芸能の要素を軸にしていこう、古くからの中心であった尼崎南部から、立花、武庫之荘、塚口や園田へと広げていこうというようなものであった。このようなことは一朝一夕にできるものではないが、当時の研究員にとって大きな目標として共有されていた。

昔の警察署を使って

城内地区にある旧尼崎警察署の案内人

そして手始めとして、「まち研」は城内に、中でも城内地区に残っている大正時代に作られた旧尼崎警察署にこだわって活動してきた。震災以降閉鎖されお化け屋敷同然になっていた旧警察署を3年前から毎年秋に開放し、皆さんに近代建築の価値を知ってもらおうと「城内フォーラム」と名づけたイベントを行ってきた。まち研が始めたものが、地域の人々や団体の協力によって(注1)、行政も巻き込む形で、年々発展してきていると自負している。

まちづくりがつながる

来年の2月に予定されている「市民まちづくり交流大会(注2)」も、「まち研」が毎年催している「市民フォーラム」の考え方を発展させたものだと理解している。それ以外にも、まち研が最初にアイデアを出したり、やり始めた活動が、その後いろんな人たちによって続けられている例がよくある。寺町ガイドや中国街道を元にしたまちおこしなどもそうだし、環境や福祉に関するものも多い。10年前には「まち研」が先駆的な役割を果たしていたが、最近はいろいろな市民グループがまちづくりに参加するようになり、「まち研」の蒔いた種が花咲くようになったと手前勝手に思っている。

今春「まち研」初代代表の武田浩氏から、私が代表を引き継ぐことになった。古今東西の歴史を紐解くと、3代目に優秀な人材が現れると、長期政権になるという。私の役割は、その任にふさわしい若手を見つけて、次の代表になってもらう中継ぎ役というところだ。

(注1)昨年の城内フォーラムで、「あまけん」の若狭さん、綱本さんのお二人が警官のかっこうで地下の留置場の案内をして下さって、大変好評だった。

(注2)来年2月22日に聖トマス大学を会場として、『市民が誇れるまちー尼崎ー「市民まちづくり交流大会」』が計画されている。


まさおかしげあき

1951(昭和26)年尼崎に生まれる。20代の3年余りを相生市で過ごした以外、尼崎に住み続けている。神戸大学卒業後、ずっと社会(地歴公民)科の高校教員。初任の相生産業高校以外、阪神・神戸地区の県立高校で勤務、7年前から現在の県立尼崎高校に。40代半ばまで野球部の指導に燃えていたが、その後は地域の歴史研究やまちづくりに関わっている。