尼崎コレクションvol.02《新曲図扇面(しんきょくずせんめん)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

扇に描かれた中世尼崎の悲劇

[作品のみどころ] 画面中央の炎上する家から金雲越しに描かれた右端の港へと逃れる主人公、弓なりの扇形を活かし緊迫した情景が広がる。52cm×30cm/和紙/作者不明/江戸時代初期

みやびな金地の扇に描かれたのは花鳥風月にあらず、黒煙と炎が上がる家と逃げる人々の姿である。この事件の舞台は中世の尼崎、港にほど近い宿で悲劇は起きた。江戸初期に描かれた『新曲図扇面』は30面の扇絵で悲劇の顛末を語る。扇面の大きさは幅52cm、高さ20cm。扇に仕立てた折り目跡はない。屏風等に貼り物語絵として鑑賞したらしい。それでは金地に濃い彩色で鮮やかに描き出された物語をたどってみよう。

ときは鎌倉末の動乱期。後醍醐天皇の皇子一宮は謀反の罪で土佐に流される。京に残された妻・御息所(みやすどころ)は家臣・秦武文(はたのたけぶん)を供に土佐へ向かい、尼崎の宿で船出の風待ちをする。美しい御息所を覗き見た松浦五郎は強奪を企み宿に夜討をかける。武文は御息所を背負い港へと逃れ、船中の人に御息所を託す。が、その人物こそ松浦五郎であった!御息所を乗せた松浦の船を小船で追った武文は、腹を切り海中に飛び込む。武文の怨霊が渦潮や嵐となって松浦の船を襲う。小船で放たれた御息所は淡路島に漂着し、やがて、一宮とめでたく再会を果たす。

『太平記』に記されたこの物語は謡曲や幸若舞(こうわかまい)『新曲』などの芸能で広く知られるようになった。戦乱のうち続く時代、尼崎の海に散った秦武文の忠節と悲劇は永く人々の心をとらえたのである。

なんと!今秋公開されます。

「中世尼崎の風景展」平成20年10月4日(土)~11月9日(日)尼信博物館3階展示室(尼崎市東桜木町3)月・祝日休館 10:00~16:00入場無料 尼崎市教育委員会主催 お問い合わせは歴博・文化財担当06-6429-0362まで


伏谷優子
尼崎市教育委員会学芸員 秋はもちろん展示準備にいそしむ秋!食い気は二の次のはず…?