尼崎の歌 ザ・ベストテン第6位~第10位
6位 熱唱したい隠れご当地ソング 『悲しい色やね』上田正樹
「大阪の海は悲しい色やね」の名フレーズが実は「尼崎の海は~」だったという根強い噂がある。採用されなかったのは、スモッグでにじむ街の灯が見えなかった、語呂が悪いなど諸説あるが「尼崎南部の海岸から大阪を見てイメージしました」と作詞の康珍化氏も証言。
7位 初期の名曲はライブの定番 『尼崎の魚』くるり
京都出身のロックバンドが歌う初期の名曲に「尼崎」の名前を発見。「岸田繁が尼崎の汚い川で釣りをするおじさんと話していて、悲しくなり書いた曲らしい」という未確認情報も。いずれにせよ、ライブの定番としてファンが多い1曲が尼崎と関係しているとは、少し誇らしい。
8位 工都の誇り歌う幻の市歌 『尼崎市歌』作詞 土井晩翠
「荒城の月」の作詞で有名な詩人・土井晩翠が作った尼崎市歌。全5番までの歌詞は「大阪湾を前にして六甲山下阪神の」と地理にはじまり、商工業の発展や名所旧跡、偉人や朗らかな尼崎の人々の人柄を歌いあげ、「萬歳萬歳尼崎」で締めくくる、時代を感じさせる1曲。
9位 尼を走るソウルトレインを歌う 『ぼくのまちの阪神電車』憂歌団
「オマリーでおま」のテレビCMよりもずっと昔。阪神電車はCMソングに憂歌団を起用していた。制作されたのは1986年頃。まちからまちへ~みんなをのせてぇ、ぼくのまちのはんし~ん、で、ん、しゃ♪と天使のダミ声で歌うフレーズは20年経った今でも耳に残る。
10位 往年のスターが歌う古代尼崎 『田能遺跡音頭』三田明
1965年に発見された田能遺跡は発掘調査をテレビ中継するほど、全国から注目が集まった。この盛り上がりに尼崎市は、当時人気絶頂の歌手・三田明に歌を依頼。以来40年以上もの間「た~のぉよ~いよい、た~のぉよ~いとこ」の歌声が園田地区を中心に響いてきた。
他にもこんな投票が
『チキンライス』浜田雅功(松本人志が詞を書き槇原敬之が作曲した話題作・210点)『ビューティフルサンデー』田中星児(「盆踊りでよく踊りました」90点)『尼崎ブルース』(築地在住の尼崎市郎さんが作詞作曲。各地でボランティアで歌っているとか)『田能のさといも音頭』『湯たんぽの詩』『ワンダフルソースの歌』『だんじりのお囃子』などが推薦されたが、惜しくもベストテン圏外に。