サイハッケン ミスタータイガースの銅像があった。

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球史に名を残す伝説の剛腕を尼崎は3人生んでいる。「優勝請負人」江夏豊、「日本人最速」の伊良部秀輝。いずれも阪神タイガースに在籍経験があるが、終生、阪神一筋を貫いた英雄といえば、「炎のエース」とうたわれた村山実、その人しかいない。

母校に銅像があると聞き、雄姿を拝みに出掛けた。市立尼崎産業高校。村山が通った住友工業高と市立尼崎商業高を前身とする。正門を入ると真正面、今まさに剛球を投げ込まんとするミスタータイガースがいた。

「私たちの世代には、そりゃあ憧れの選手ですよ。小さな体を大きくしならせて全力で投げる『ザトペック投法』はカッコよかった」と、野球部顧問も務める加藤賢治教頭(54)。「母校を愛しておられ、晩年も野球部員の激励や講演に来てくださいました。とても穏やかな方でしたよ」

銅像は2004年、村山の七回忌に同窓会が寄付を募って建立した。記念パンフレットには「生涯燃やし続けた中央への反骨精神や正義感は、現代の若者にも伝わると思う」とある。

村山は高校時代、甲子園に出られず、「小柄」を理由に東京六大学への進学もかなわなかった。その悔しさが、エリート集団だった巨人や長嶋茂雄への強烈なライバル心を生んだ。その背には、永久欠番「11」だけでなく、尼崎=関西人の誇りを背負っていたのである。

尼崎産業高校は2年後に統合・移転を控える。だが、アマっ子の宝ともいうべき銅像の行方は、まだ決まっていないという。


市立尼崎産業高校

電気、機械、商業の専門科がある市立高校。OBに新喜劇の井上竜夫、大富豪の関口房朗など著名人を数多く輩出する伝統校。


取材と文/松本創
ライター。編集を務める『南部再生』で、江夏豊に尼崎時代をたっぷり語ってもらうのが夢。