論:尼崎の記録係になりたい 「尼崎経済新聞」編集長 畠中裕介

インターネット上で尼崎の情報を配信する「尼崎経済新聞」(通称、尼経)。2014年10月10日に創刊し、記事数はまもなく100件になる。3人の編集部員とともに尼崎中のビジネス・カルチャー情報を発信し続ける編集長が、「街の記録係」としての思いを語ってくれた。

僕が代表を務めるエアグラウンドは、弟と一緒に立ち上げた映像コンテンツ制作会社で、南武庫之荘に事務所を構えています。僕らは愛媛県の小さな島の出身で、二人とも大阪の専門学校を卒業後、武庫之荘に暮らしています。島では全員が親戚みたいで、地域で助け合うことが当たり前だったので、いま暮らしている尼崎にも何か貢献したいとずっと考えていました。尼崎って、テレビや新聞で悪いニュースばかり取り上げられているのがすごく残念で。 だから自分たちで媒体を持って、尼崎のハッピーな部分や魅力を発信したいと思ったんです。

そんな時に出会ったのが「みんなの経済新聞」という仕組み。全国各地で「○○経済新聞」と地名を冠したネットメディアが次々と立ち上がっていて、僕の知り合いも大阪で運営していました。彼から誘われて、何と記念すべき100番目の「みんなの経済新聞」を尼崎で立ち上げることになったんです。創始者の西樹さんが尼崎出身という不思議な縁も僕らを後押ししてくれました。

地元の人間ではないので知らないこともありますが、逆に新鮮な気持ちで取材できるのは大きなメリットです。西さんにも「くもりない目で見るのがいいんだよ」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。

尼崎の話題が世界へ

今年の2月に配信した「忍たま乱太郎ゆかりの地名めぐりツアー」の取材写真が、韓国のツイッターでたくさんの忍たまファンに拡散されていたのにはびっくりしました。今後は記事を英訳して、外国人向けに尼崎の面白さを伝えるページを作りたいと話しています。大阪市内よりもホテル代が安くて、三和市場や競艇場など、外国の人が楽しめるコンテンツのある街だと思うんですよね。

今年の成人式の記事も「自分のことがニュースになってる!」と新成人たちがツイッターでたくさん拡散してくれました。実はこれ、かわいい女の子の写真は閲覧数が上がる、という下心のある取材だったんですが、街の小さな記録が二十歳の記念になったかなと嬉しかったです。僕たちの役割は街の記録係だなと思っていて。外から見れば小さなできごとでも、街にとっては大切な歴史。記録しておけば、「あのとき何があったっけ」と振り返ることもできます。

ただ、変な拡散をされないよう個人情報やプライバシーへの配慮には気をつかっています。たとえば見出しのつけ方でも、変に煽らない。「かわいすぎる○○」なんて書くと「そんなにかわいくない」とコメントする人も出てきますし、下品になっちゃいますから。

頼りになるメディアに

「経済新聞」と銘打っていますが、大きな企業の情報ばかり載せるのは違うと思っています。たとえば100円の品物の売り買いがゆくゆくは経済をまわしているって考え方もできますよね。あくまで「みんなの」経済新聞でありたいんです。

また、尼経は「ハッピーニュース」だけを発信するきまりですが、取材では「実は後継者がいなくて…」といった悩みを聞く機会も多いんですよね。尼崎で困っている人をうまくマッチングするとか、地元のビジネスのサポートをしたいです。目標は長く続けること。尼崎で何かあったら「畠中に聞いてみよう」と言われることが夢です。
取材構成・宮﨑絵里子)


はたなかゆうすけ

1979年(昭和54年)愛媛県生まれ。大阪の専門学校で映画制作やモーショングラフィックを学び、企業紹介映像や商品説明映像の撮影編集の仕事に携わる。2008年に弟とエアグラウンド創業。2014年に尼崎経済新聞を運営し大忙しだが、弟からは「兄ちゃん、こんなおもろいの絶対続けような」と言われている。