南部再生第30号:もくじ
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特集 尼崎の歌 ザ・ベストテン

『悲しい色やね』上田正樹

1982年に発表されたメガヒット。キー坊の代表曲だけあり、数あるベスト盤には必ず収録されている。

 「大阪の海は悲しい色やね」の名フレーズが実は「尼崎の海は〜」だったという根強い噂がある。採用されなかったのは、スモッグでにじむ街の灯が見えなかった、語呂が悪いなど諸説あるが「尼崎南部の海岸から大阪を見てイメージしました」と作詞の康珍化氏も証言。

『尼崎の魚』くるり

『ベストオブくるり』1998年に発表されたデビュー作品のカップリング曲ながらベスト盤にも収録される名曲。

 京都出身のロックバンドが歌う初期の名曲に「尼崎」の名前を発見。「岸田繁が尼崎の汚い川で釣りをするおじさんと話していて、悲しくなり書いた曲らしい」という未確認情報も。いずれにせよ、ライブの定番としてファンが多い1曲が尼崎と関係しているとは、少し誇らしい。

『尼崎市歌』作詞 土井晩翠

作曲は東京音楽学校。1940年制定。国家主義色も強いが、晩翠の描写は工都尼崎の活気を今に伝えている。

「荒城の月」の作詞で有名な詩人・土井晩翠が作った尼崎市歌。全5番までの歌詞は「大阪湾を前にして六甲山下阪神の」と地理にはじまり、商工業の発展や名所旧跡、偉人や朗らかな尼崎の人々の人柄を歌いあげ、「萬歳萬歳尼崎」で締めくくる、時代を感じさせる1曲。

『ぼくのまちの阪神電車』憂歌団

音源は発表されていないが、パンシロン、大遊協などとともに懐かしのCMソングとして語り継がれている。

「オマリーでおま」のテレビCMよりもずっと昔。阪神電車はCMソングに憂歌団を起用していた。制作されたのは1986年頃。まちからまちへ〜みんなをのせてぇ、ぼくのまちのはんし〜ん、で、ん、しゃ♪と天使のダミ声で歌うフレーズは20年経った今でも耳に残る。

『田能遺跡音頭』三田明

毎年11月の田能遺跡まつりでは婦人会が踊り伝えている。田能資料館では希望者にソノシートを進呈。

 1965年に発見された田能遺跡は発掘調査をテレビ中継するほど、全国から注目が集まった。この盛り上がりに尼崎市は、当時人気絶頂の歌手・三田明に歌を依頼。以来40年以上もの間「た〜のぉよ〜いよい、た〜のぉよ〜いとこ」の歌声が園田地区を中心に響いてきた。

他にもこんな投票が

『チキンライス』浜田雅功(松本人志が詞を書き槇原敬之が作曲した話題作・210点)『ビューティフルサンデー』田中星児(「盆踊りでよく踊りました」90点)『尼崎ブルース』(築地在住の尼崎市郎さんが作詞作曲。各地でボランティアで歌っているとか)『田能のさといも音頭』『湯たんぽの詩』『ワンダフルソースの歌』『だんじりのお囃子』などが推薦されたが、惜しくもベストテン圏外に。