論:尼崎でメシを食うということ 『南部再生』編集部 松本 創

「あのお店行きました」「美味しかったわ」毎号読者からの反響が最も大きい人気連載。30軒目を食べ歩いたライターが尼のくいもんを語る。

新ちゃん

はじまりは駅そば談義だった。何かの酒の席で、いかに阪急そばが好きか、腹も減ってないのに立ち寄ってしまうかを語っていたら、「そのテンションで南部の食べ物の話を書きませんか」と、まだ24歳のさわやかなメガネ男子だった本誌編集の若狭君に言われ、続いて市役所の田中さんが「FOOD風土!」と、どや顔でコーナータイトルを叫んだ。それから8年あまりが経ち、訪ねた店は30軒に達した。季刊だから亀の歩みだ。しかし、ともかく30軒の店でメシを食い、酒を飲んだことで、それまで特に深い縁もなかった尼崎という街への30の扉が開いた。

「変哲もない日常」のメシ

「よそ行きの『グルメ』じゃない、生活密着の『食いもん』を探して、アマを歩く」。連載のタイトルにそう添えてある。今となってはずいぶん硬い、説明的な一文だけど、趣旨はまあそういうことだ。街の一断面としての食べ物の話だから、皿の上だけのグルメトークを繰り広げてもしょうがない。だいいち、そんなに鋭敏な味覚も豊富なウンチクも持ち合わせていない。ありふれた日常の中の「食う」「飲む」「料理する」を愛することにかけては自信があるけれど。

しかし、そういう目で歩けば、尼崎、とりわけ南部というエリアは、ネタの宝庫なのだ。長年かけて堆積した日々の営みや生活くささ、「そこにあること」のかけがえなさを身体的に訴えかけてくる、今や数少ない街だから。

百万
田のうえ

杭瀬にあった「ちとせ食堂」で、風呂帰りのおっちゃんや親子連れに混じって玉子丼と沖縄そばをかき込むのも、阪神尼崎を降りたら尼センに寄って「百万」の豚まんを包んでもらうのも、市役所近くの「さつま食堂」で、おばちゃんのエンドレス健康談義を浴びながら小皿のおかずを選ぶのも、どれもすべて、そこで暮らす人なら誰もが経験する「変哲もないこと」だ。その感覚をこそ、うらやましく思うし、切り取れるものなら切り取ってみたい、と思う。

この店主がいて、この店あり

街の暮らしと同様、いやそれ以上に、店だって変哲もないルーティンワークの集積でできている。

中央商店街の「田のうえ」で多くの人に愛されたカツ丼や甘い皿うどんは、32年間注ぎ足されてきた特製調味料「かえし」がベースになっていた。立花のとんかつ「大富士」のデミグラスソースは「作り方を教えて」という声が絶えないが、ご店主は「小さなことの積み重ねやから口ではよう説明せんのですわ」という。潮江の「SOUL CURRY CAFE」の若い店主は、亡き母から継いだカレーを100時間以上かけて再現し、寺町に近い「新ちゃん」のご主人は70代半ばの今も、毎朝3時から2階で黙々と餃子を包んでいる。

ちとせ食堂
SOUL CURRY CAFE

この暮らしがあって、このメシがある。この店主がいて、この店がある。その関係性が尼崎の南部では際立っている。「FOOD風土!」と叫んだ田中さんがどや顔だったのも、ダジャレが決まったという以上に、「尼崎ならではやろ」と言いたかったからに違いない。


大富士

ただ、残念ながら、訪ねた30軒のうち、今はもう閉じてしまった店は少なくない。ここに挙げた中でも「ちとせ食堂」や「田のうえ」はもうない。別に『南部再生』が疫病神なわけじゃなくて、後継者がいなかった、街や時代の変化に潮時を見つけたという理由がほとんどのようだ。寂しいけれど、取材者というよそ者に何ができるわけじゃない。ただ、それぞれの街の「当たり前」にひと時身を置き、教えてもらったり感じたりしたことを書き留めること。それを淡々と続けていくしか。この変哲もない仕事が日常になるまで。


まつもと・はじむ
1970年、吹田市生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。「FOOD風土」の連載から、いつしか『南部再生』編集スタッフとなり、特集その他も手掛けている。尼崎のほか、住んでいる神戸市灘区では『ナダタマ』、仕事場のある大阪・中之島では『月刊島民』といった街のメディアに関わる。