尼の神さま仏さま

社務所で大爆笑。笑いをつないで23年貴布禰神社 [きふね寄席]

社務所から200人近い人々の笑い声が沸き起こる。1987年にはじまった診療所や地区会館での「でやしき寄席」の特別会として、貴布禰神社で翌年開かれた「きふね寄席」。江戸時代には境内で落語の興行があったという記録も残る由緒ある場所だ。故・桂文紅師匠と地元の世話人、それに落語好きだった先代宮司が力をあわせて、その地域寄席ははじまった。

出屋敷界隈で20年以上続いてきたこれら二つの寄席は、2003年3月に桂文紅さんが亡くなり、惜しまれながら一度は幕を下ろすことに。「宮司も代替わりし、若手の落語家も育っている。なんとか続けられないか」という世話人に応え、繋昌亭大賞(2007年)にも輝いた実力派、笑福亭三喬師匠が中心となり2004年に「きふね寄席」が再開した。

開催は年に3回、毎回大入りの盛況が続く。常連客の中からも「私もお手伝いさせて欲しい」と世話人の層も厚くなった。「落語家の頑張りが40、世話人さんの努力が60。地域寄席は地元の人に支えられているんです」と三喬さんはいう。

今年3月には「小さな子どもさんを持つ人にも楽しんで欲しい」と江田政亮宮司が地元の保育士へ呼びかけ、託児室を用意した。笑いの街尼崎で末永く愛される寄席へ―その想いは時代を越えてつながっている。

貴布禰神社

阪神出屋敷駅から南東へ徒歩5分。年3回(3・5・10月)開催日には、きふね寄席を始めた故桂文紅師匠ののれんがかけられている。●西本町6-246

尼崎ゆかりの偉大な劇作家を偲ぶ広済寺 [大近松祭]

多くの人が見守る中で、吉田文雀師匠の操る人形が墓碑に水を注ぐ。隣接する近松記念館では、地元小学生が浄瑠璃を奉納する。
写真提供/尼崎市ちかまつ・文化・まち情報課

『曽根崎心中』『冥途の飛脚』など百篇を越える作品を残した劇作家、近松門左衛門。その菩提寺である広済寺では、命日に近い10月末頃、偉業を顕彰する「大近松祭」が行われる。ハイライトは、人形浄瑠璃文楽の人間国宝・吉田文雀師匠の操る人形が焼香し墓碑に水をかけるという、じつに粋な墓前祭である。

禅寺として創建された広済寺は、南北朝時代直前に戦乱に巻き込まれ、荒廃したまま放置されていた。再興開山したのは、大阪の船問屋「尼崎屋吉右衛門」の次男であった日昌上人。上人は広済寺開山の前、大阪は寶泉寺の住職を務めていた。近松が座付作者になった道頓堀の竹本座に近かったことから、ここで二人の親交が深まったと考えられている。

寺と近松の縁を物語るものとして、近松部屋の存在がある。本堂裏にあった小さな建物で、近松は『心中宵庚申』などの傑作を著したと言われ、部屋の階段や愛用の遺品などが寺宝として伝わる。

「大阪から程よく離れていたので、人気作家がホテルに籠るように、落ち着いて執筆するのに最適だったのではないでしょうか」と石伏叡齋住職はいう。数十年前まで、摂津名所図絵に描かれた通りの田園風景が広がっていた久々知。風景は変わっても、近松作品の上演前には人形遣いや役者が参拝に訪れる。

広済寺

JR尼崎駅から市バスで「近松公園前」下車 ●久々知1-3-27