尼崎寺町 宝もの探訪

寺町には国指定の重要文化財だけでも建築物や彫刻、工芸品など合わせて7件がある。尼崎市にある重要文化財が全部で10件だから、寺町の“お宝密集度”がよく分かる。この他にも県指定文化財5件、市指定文化財14件を有する寺町は、町全体が一つの大きな博物館であると言えそうだ。

現存する11ヵ寺のうち最も多い5件の重要文化財を有するのが本興寺。中でも三光堂は草花をかたどった彫刻や欄間の透かし彫りなど色鮮やかな装飾が見事。拝殿の脇から市原悦子のように覗き見るしかないのだが、そんなチラリズムもまたそそる。

長遠寺の本堂はどっしりとしたたたずまいが良い。縁部分の高欄(手すり)には擬宝珠が華を添える。かつては朝廷関連の施設などにしか使用されなかった高貴なワンポイントアクセがニクい。

本興寺三光堂
屋根の形などなんだか不思議な造り。そもそも「三光堂」という建物自体、あまり聞かない名である。どんな儀式が行われていたのかなど、もう少し詳しく知りたいところ。
長遠寺本堂
建築のスケールに比べて威圧感がないのは、境内がこぢんまりとしているせいか。ぼんやりとたたずむには良い距離感である。願わくば縁でゆっくりしたい。せめて堂内が少しでものぞければ…。

重文だけがお宝ではない。寺町でも一際目立つのが、大覚寺の光り輝くチタン製の屋根。「尼崎がチタン工業化の発祥地であることにちなんだ」もので、未来永劫あり続けようとする気合の入った宗教性を感じさせる。

屋根と言えば甘露寺の屋根にも注目。今にも羽ばたかんとする鳳凰の姿はまさしく“アマの金閣寺”である。そのお隣の法園寺には戦国時代の猛将・佐々成政のお墓もあるなど、バラエティ豊かなお宝がひしめいている。

大覚寺・チタン製の屋根
渋い色合いが広がる寺町を照らすチタン・フラッシュが炸裂! 100年、200年後には必ずや21世紀の寺院を象徴する存在になっているに違いない。
甘露寺鳳凰
極楽浄土をイメージさせる鳳凰。屋根のてっぺんにおわすところは金閣寺風だが、首の具合を見ると鳳凰自体は平等院にものに似ているように見える。

忘れてはいけないのが寺町からほど近い尼信博物館。尼崎藩主桜井松平家ゆかりの品々を納めたミュージアムが誇る目玉は鎌倉中期の名刀匠・初代守家作の太刀。きらびやかな蒔絵の施された拵(外装)と一緒に代々の藩主に受け継がれてきた家宝。重文と聞いて、添えられた「極書」にある「金子拾五枚」の文字が実に重々しく見えてきた。

如来院地蔵
これは珍しい。半跏=足を片方だけ組むスタイルのお地蔵さん。細かいところまで目が離せない。
法園寺・佐々成政の墓
領地である肥後で反乱が起こった責任を問われ、尼崎で切腹させられた。戦国ファンの巡礼地になる日も近いか?
尼信博物館の太刀銘守家
これぞまさしく“伝家の宝刀”。本阿弥光温による極書(鑑定書のようなもの)も一緒に展示。マンガ『へうげもの』もかくやの権謀術数があったのか。

尼崎寺町はこうして生まれた

寺院が密集する現在のような姿になったのは、江戸時代にさかのぼる。元和3年(1617)の尼崎城築城の折、各所に散在していた寺院は1箇所に集められた。大きな建物と広い境内を城下町防備のための出城代わりにする意図と同時に、監視をしやすくし、寺院勢力の拡大を抑制する狙いもあった。