尼崎コレクションvol.01《能道具とカルタ》櫻井忠剛

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

初代市長が描いた不思議な油絵

[作品のみどころ] 画面左斜上に画題を集中して描いているため、右斜下に描かれた1枚の絵札の印象がとても鮮烈である。

不思議な絵画である。しかもこれが油絵(洋画)なのだからさらに不思議である。

まず作品の解説から。作品の大きさは縦36cm、横88cm。元は作者の親族宅にあったが、現在は尼崎市教育委員会に寄贈されている。黒漆を全面に塗った扁額風の横長の板に油絵具で能面、謡曲本、鼓、カルタなどを描いている。作品の形式も描かれている内容も和以外の何物でもない。しかしこれは洋画なのである。「日本の油絵」とでも呼ぶべき作品である。そしてこの「日本の油絵」を描いたのは、伝統的な日本家屋にどのようにすれば洋画を受容させることができるのかを模索し続けた「明治の洋画家」である。

では、この「明治の洋画家」とは誰か。それは1916年(大正5)に尼崎市が誕生した際に初代尼崎市長に就任した櫻井忠剛(さくらいただかた)である。櫻井は1867年(慶応3年)に尼崎藩主櫻井松平家の一族に生まれ、明治前期に東京に遊学し勝海舟宅に寄宿した。櫻井はここで明治洋画界の重鎮、川村清雄と出会って洋画を学び、明治20~30年代には東京や京都で新進気鋭の洋画家として活躍した。しかし1905年(明治38)に尼崎町長に就任してからは次第に洋画界から離れていったため、近年まで洋画家としてはほとんど評価されることがなかった。しかし、尼崎市内には今でも玄関先や居間に櫻井の作品を掲げている旧家があり、初代市長・櫻井忠剛は地元尼崎では今も洋画家として生き続けているのである。


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員。今の時期は尼いもの苗の植え付けに市内の学校を奔走中だとか。