サイハッケン 甲子園ホテルの味を残す名店があった。

長く住んでいても意外と知らないまちの愉しみ。「へえ~」と目からウロコの再発見!
ディープサウスの魅力をご堪能ください。

市松格子光天井の美しい甲子園会館1階西ホール

老舗グリルや洋食屋さんが店を構える尼崎が、私にはつくづく大人の町にみえる。この街で「甲子園ホテル」の味を受け継ぐ洋食屋さんを発見した―。

私が勤める武庫川女子大学にある甲子園会館はかつて「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、数多くの要人や皇族を迎えてきた。設計は東京帝国ホテルを手がけたフランク・ロイド・ライトの弟子、遠藤新。帝国ホテル出身の支配人や料理人をそろえ、昭和5年にオープンするや、メインダイニングは連日賑わい、ウエディングは予約で満杯に。神戸とも一味ちがう一流のフランス料理が好評を博した。

武庫川女子大学 甲子園会館(旧甲子園ホテル)
阪神間における社交場としてもにぎわった建物は、現在大学のキャンパスとして往時の面影を今に伝える。(写真提供:武庫川女子大学)

厨房からは、大阪コクサイホテルの総料理長として活躍した関西の仏料理界のリーダー・西村修一氏をはじめ数多くの人材が育った。地元でグリルを開く料理人も多く、戦前では西宮の札場筋の「西宮グリル」、甲子園の「甲子園グリル」などが誕生。続いて戦後には、尼崎の東難波にも「洋食なかじま」が生まれた。同ホテルでパンや洋菓子、ケーキを担当するベーカー(製菓部)で活躍した中島喜志雄氏のお店だ。

ソース、ドレッシング、マヨネーズなどホテルの味を尼崎へ伝え、亡くなる78歳まで厨房に立ち続けた。子どもの頃に甲子園ホテルに通っていた客が孫を連れてお店に来ることも。地元に長く愛された料理人はまさに「町の巨匠」だった。その後を引き継いだのが、息子の照喜氏。大阪コクサイホテルの厨房に20年間勤めた2代目店主のもと、甲子園ホテルの味は今も尼崎で健在だ。

お隣の西宮では洋菓子の伝統も受け継がれている。中島氏が師事したベーカーチーフ(製菓長)が甲子園口に開いた「ライト洋菓子店」。こちらも2代目だ。店名はもちろん、ゆかりの建築家から。

甲子園ホテルの幕は戦前に下ろされたが、その系譜は武庫川の両岸の町で生きている。尼崎がどこかハイカラに見えるのは、阪神間や神戸のモダニズムを支えた名残が残るからではないだろうか。


三宅正弘

1969年芦屋生まれ。武庫川女子大学生活環境学部准教授。西宮の鳴尾苺や逆さ門松、四国の遊山箱など地域資源の発掘とプロデュースを手がける。尼崎の地ソースの火付け役でもある。今秋『甲子園ホテル物語』を発刊予定